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まいかのあーだこーだ

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2024.06.24
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カテゴリ:NHK大河ドラマ
NHK大河「光る君へ」第25話。

まひろは、
父の為時を残して越前から帰ってきました。



越前編で描かれたエピソードの多くは、
実際の史料にもとづいて作られたようで、
宋人が朝廷にオウムを献上した話なども事実らしい。
長徳2年(996)正月、越前守に任じられたのが紫式部の父・藤原為時です。実は淡路守に任命されていたのが、急きょ、越前国への赴任となりました。学識のある為時に唐人との対応を当たらせたいという、一条天皇の意図に道長が応えたといわれています。
為時は、朱仁聡しゅじんそうらと共に来日したと思われる羌世昌きょうせいしょうなる人物と漢詩を唱和するなど交流したと伝えられています(福建省の商人・周世昌との説もあり)。このとき紫式部も越前国へ同行。23歳前後のこととされています。
~ 春なれど白嶺の深雪いや積もり解くべき程のいつとなきかな ~
この詞書に「唐人見にゆかむ」と紫式部への手紙に書いていた人がいることが記されており、それはのちに夫となる藤原宣孝であることが定説です。
https://serai.jp/hobby/1178951



藤原為時の《越前赴任》のエピソードは、
その後の日本史的に見ても興味深いところがあって、

為時の場合は、
朝廷の意を受けて日宋貿易を拒否しましたが、

それから120年ほど後…

同じく越前守になった平忠盛(清盛の父)によって、
本格的な日宋貿易が開始されて、
それが平家に栄華をもたらしていくわけよね。

もし為時にもそんな大胆な才覚があったら、
日本の歴史はちょっと違ってたかもしれません!
894年、菅原道真の提案により、約260年間続いていた「遣唐使」を廃止。
とは言え、その後も中国船の来航は絶えず、960年に宋が建国されたあとも日中貿易は継続。日本側は、九州の博多に限定して貿易を許可し、「大宰府」が管轄することとなりました。
これに不満を抱いた宋の商人は、当時力を付けてきた北九州の商人を相手に私的な貿易を開始。朝廷側は、貴重な舶来産の品物を入手するルートを失いたくなかったため、こうした私的な商取引も暗黙に認めていました。
この日宋貿易に着目したのが平忠盛です。1120年に越前守へと転任した忠盛は、宋船が博多だけでなく敦賀(福井県南西部)にまで来航していることを知ります。忠盛は、平氏が力を持つには日宋貿易によって資金力を得ることが重要だと考えました。
忠盛は、信任が厚かった「鳥羽上皇」からの命令と称して日宋貿易の権限を大宰府から奪い、博多での利益を独占。平氏繁栄の基盤となる莫大な財力を得るようになります。
https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/nissoboeki/



五箇地区の《越前和紙》の話も出てきました。

じつは福井以外にも、
日本には「五箇」という地名がたくさんある。
そして、その多くには平家の落人伝説があります。

合掌造りで有名な富山県の五箇山にも、
やはり「五箇山和紙」の伝統があるけれど、
それは平家落人が都の文化を伝えたことによる。
五箇山は、平家落人の里として古くから都の文化が伝えられていました。五箇山和紙もそのひとつ。
http://www.nanto-e.sakura.ne.jp/furusato/data/mu22002/detail-4751.html

なので、
富山の「五箇」に和紙作りが伝わったのは、
12世紀末の源平合戦より後ってことになります。

しかし、
福井の「五箇」に和紙作りが伝わったのは、
それより700年ぐらい前の5世紀末のことらしい。
越前和紙は、男大迹王おおとのおう(のちの継体天皇)が越前地方を統治していたとされる5世紀末ごろには紙を漉き始めていたと思われ、最初は写経用紙を漉いていたと考えられます。
https://washi.jp/history/index.html

実際、
紫式部もその紙を使ったのだとしたら、
源平合戦よりも前からあったってことですもんね。

こちらの場合は、平家の落人じゃなく、
川上御前なる女性が和紙作りを伝えたことになってる。
1,500年の長い歴史を持つといわれる越前和紙。写経・和歌集・公文書など、時代によって求められる用途に合わせ、その技術を発展させてきました。
越前市・五箇地区。岡本川の流域を中心とした5つの集落に越前和紙の工房が立ち並んでいます。清らかな水と厳しい冬の気候が良質な紙作りに適しているといわれています。
その昔、岡本川の川上から一人の女性が現れ、この地の人々に紙漉きの技術を伝えたと語り継がれています。人々は、その女性を川上御前と呼び、紙の神様として祭りました。
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/pBVq87dMmx/

NHKプラスでは、
北陸スペシャル「光る君へ~越前紀行」も見れますが、

それによると、

越前の和紙は滑りがよく、
かな文字を書くのに適してたので、
それが平安文学の技術的な土台になったようです。



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最終更新日  2024.06.24 19:42:49


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