カテゴリ:NHK大河ドラマ
NHK大河「光る君へ」第25話。
まひろは、 父の為時を残して越前から帰ってきました。 ◇ 越前編で描かれたエピソードの多くは、 実際の史料にもとづいて作られたようで、 宋人が朝廷にオウムを献上した話なども事実らしい。 長徳2年(996)正月、越前守に任じられたのが紫式部の父・藤原為時です。実は淡路守に任命されていたのが、急きょ、越前国への赴任となりました。学識のある為時に唐人との対応を当たらせたいという、一条天皇の意図に道長が応えたといわれています。 ◇ 藤原為時の《越前赴任》のエピソードは、 その後の日本史的に見ても興味深いところがあって、 為時の場合は、 朝廷の意を受けて日宋貿易を拒否しましたが、 それから120年ほど後… 同じく越前守になった平忠盛(清盛の父)によって、 本格的な日宋貿易が開始されて、 それが平家に栄華をもたらしていくわけよね。 もし為時にもそんな大胆な才覚があったら、 日本の歴史はちょっと違ってたかもしれません! 894年、菅原道真の提案により、約260年間続いていた「遣唐使」を廃止。 ◇ 五箇地区の《越前和紙》の話も出てきました。 じつは福井以外にも、 日本には「五箇」という地名がたくさんある。 そして、その多くには平家の落人伝説があります。 合掌造りで有名な富山県の五箇山にも、 やはり「五箇山和紙」の伝統があるけれど、 それは平家落人が都の文化を伝えたことによる。 五箇山は、平家落人の里として古くから都の文化が伝えられていました。五箇山和紙もそのひとつ。 なので、 富山の「五箇」に和紙作りが伝わったのは、 12世紀末の源平合戦より後ってことになります。 しかし、 福井の「五箇」に和紙作りが伝わったのは、 それより700年ぐらい前の5世紀末のことらしい。 越前和紙は、男大迹王おおとのおう(のちの継体天皇)が越前地方を統治していたとされる5世紀末ごろには紙を漉き始めていたと思われ、最初は写経用紙を漉いていたと考えられます。 実際、 紫式部もその紙を使ったのだとしたら、 源平合戦よりも前からあったってことですもんね。 こちらの場合は、平家の落人じゃなく、 川上御前なる女性が和紙作りを伝えたことになってる。 1,500年の長い歴史を持つといわれる越前和紙。写経・和歌集・公文書など、時代によって求められる用途に合わせ、その技術を発展させてきました。 NHKプラスでは、 北陸スペシャル「光る君へ~越前紀行」も見れますが、 それによると、 越前の和紙は滑りがよく、 かな文字を書くのに適してたので、 それが平安文学の技術的な土台になったようです。
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最終更新日
2024.06.24 19:42:49
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