ガリラヤ湖ほとりにて・・
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ところが、この町ほど、何故か忘れられた町はありません。 【カペナウム】ですよ! 【イエス・キリスト】や 【使徒ペテロ・ヨハネ】が住み、 数々の奇跡の舞台となり、 【イエス様】 は上の”シナゴーグ”で教えておられたのですから? !!(゜ロ゜ノ)ノそれなのに?【ナザレ】や 【ベツレヘム】の巨大な街としての発展をよそに、ここは【廃墟】なのです。 【ナザレ】や【ベツレヘム】が ”ローマ・カソリック”の巨大で壮麗な教会が建っているのに、ここはいかにも小さなものしかありません。 その理由は”イエス様御自身が、この町の不信仰を呪ったから”なのでしょうか? (マタイ福音書11章23) 「カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力ある業が、もしソドムでなされたのだったら、ソドムは今日まで残っていただろう。しかし、あのソドムのの地の方が、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちより罰が軽いのである。」 (ง `ω´)ง 上の【聖書】の御言葉通り、 【カペナウム】の命運は尽きたのか? 現在は「廃墟」であります! 【カペナウム】という町は、 「イエスの町」と言われるように 「イエス様」お住みなり、 「使徒ペテロ・ヨハネ」らの家もあった所ですが、かなりな不信仰の町で、 ”キリストの言葉”を信じなかった為、他の ”ベツサイダ””コラジン”らの町と共に、厳しい ”お叱り”を受けたのでした。 【カペナウム】はしかし、 皮肉にもこれほど ”キリスト時代”まま残る町はありません。 ここは【イエス様が住まれ愛された町】でもあります。♪ 【ナザレ】【ベツレヘム】などは2000年前の 片鱗も無く発展しており、 都市にすらなっています。 ⋆* ⁑⋆* (๑•﹏•)⋆* ⁑⋆* これでは”イエス様時代”の面影は0ですから~ これはですね”神様の御計画”でしょう。 【カペナウム】は ”イエス・キリスト”の最重要遺跡の一つですから、後世にそのまま残必要があったのですね。この町の遺跡を見れば、当時の規模なりが、かなり彷彿と理解できますから。 【カペナウム】は”ガリラヤ湖”の北端に位置し、近くに”ローマの街道”があった為、 交通の要所であり、商業などで栄え、 ”ローマの徴税所”もあり”ローマ軍も駐屯” (すべて傭兵)していた、 【ガリラヤ】ではまあまあ大きな町でした。 下の”ティベリヤ”とは近い町です。 私達は今回の旅行でこの”ティベリヤ”に宿泊しました。 (最も近辺で大きな街は”ティベリヤ”現在もホテル群が建しならぶリゾート、皇帝ティベリウスに献上された街) しかし、遺跡の規模からして、 現代では 「地方の小団地の数区画程度の 小さな町」と言えます。 下の写真をご覧下さい(๑˃̵ᴗ˂̵)و ! これは、中央の”シナゴーグ遺跡”の土台部分ですが、 「黒い玄武岩の部分が”キリスト時代”のシナゴーグ」です。 上に”2~3世紀の”ローマ時代”のシナゴーグが建った訳で、実は 【イエス・キリスト】は この”シナゴーグ”で説教をされていたのです。 (マルコ福音書1章21~22節) 『それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。人々はその教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようではなく、権威ある者のように教えられたからである。』 (マルコ福音書2章1~2) 『数日たって、イエスがカペナウムにおられることが知れ渡った。それで多くの人が集まえった為、戸口の所まで隙間も無いほどになった。この人たちにイエスはみことばを話しておられら。』 【イエス様】はこのように”シナゴーグ”で教えられました。 ₍₍ ( ๑॔˃̶◡ ˂̶๑॓)◞♡そう考えると、 ”イエス様”が立って教えておられた所に立つ、 何と光栄で感動でしょうか? ヾ(⌒▽⌒)ゞそれどころか、 【ユダヤ教のシナゴーグ】は、当時ご町内の ”公民館”のような役割もしていた訳で、 ”ペテロ””ヨハネ””アンデレ””ヤコブ”さんら、 後の使徒達も、”安息日”には必ずここで神様に祈りをささげていました。 彼らは”ベツサイダ”など他の町の出身ですが、この町に住むようになってからは、この ”シナゴーグ”で、子供の頃勉強も習っていた筈です。 【使徒ペテロ】は弟子になる前にすでに家族持ちでしたから、ペテロのお子様達もここで読み書きを習っていたかもです。 (^^)ここには、【ペテロの家】もあります。 ご覧のように、6角形?の形をした”ペテロの家”と呼ばれる遺跡があり、”弟子ペテロ”は網本であったとも言われます。ここから”ガリラヤ湖”までは、ご近所のバス停ほどの距離ですから、納得です。 現在はこの上に大きな教会堂があります。 【カペナウム】は交通の要所でもあり、商業が 盛んな町でしたので、ここで”ペテロ”らの獲った魚も売買されたのでしょう。 【カペナウム】の住居跡は、このように広い範囲の遺跡として発掘されている。 写真から推測するに、当時の住居はこのように ”集合住宅”のような作りであったようです。 (^^;)”一戸建て”では無いんですね。外的の侵入から守る為、村村などもこのような集合住宅が多かったようです。 (聖書時代の生活~参照) 【カペナウム】の町の遠隔は以下の (ウイッキ)のようになります。7世紀まで ”ローマ。属州”の一部として栄え人が居住していた様子ですが、その後衰退。 ”ユダヤ戦争”の舞台にならず存続していた様子ですが、「ローマ帝国東西分裂」により、ここは 「東ローマ帝国」の一部となり、後には 「オスマン・トルコ」の領地となるのであるから、その後に衰退して行ったようです。 現在でも、リゾートとして利用される 【ティベリヤ】とは違い、この ”ガリラヤ湖北端地域”は発展から漏れたいたのか、 それとも【イエス様にお叱りを受けてせいか?? (・∇・)ン?【廃墟】のままである。 (ベツサイダ、コラジンも廃墟) 19世紀より西洋人の探検家らによる発掘が進み、ガリラヤ湖の北側のテル・フームでかなりの広範囲にカペナウムの廃墟が発見された。 紀元1世紀より紀元7世紀まで人が住んでいたことがわかっており、ハスモン朝により紀元前2世紀頃に建てられ、ユダヤ戦争では戦場とならずに済んだもののやがて衰え、11世紀までには放棄されたとみられる。ここからはイエスが教えたといわれるシナゴーグも発掘された。 (`◎△◎)!?それにしても”不思議”なのは、 【ナザレ】【ベツレヘム】【エルサレム】など 【キリスト】の聖地には、カソリックによる巨大な【カセドラル】が造られているのだが、どうして、この【キリストの町】と呼ばれる【カペナウム】が忘れられてしまったのか? それは【発掘】されるまで ”行方不明”になっていたのでしょうね。 ・・やはり、【イエス様】のお叱りのせいか? ォオ~!!(゚Д゚ノ)ノ (^^)そのおかげか、ここは【キリスト時代】のまま保護された訳ですから~ 【イエス様の面影を抱きながら、土中に眠っていた訳ですね~♪】 超ロマン!
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