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ガリラヤ湖ほとりにて・・

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May 29, 2017
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ヾ(⌒▽⌒)ゞ

”イスラエル”には”晴天”しかありません。
砂漠地帯なので”超少雨”、旅行の天気は心配がありません。明日も明後日も「晴れ!」
しかありませ~ん。

【カペナウム】は、
”ガリラヤ湖畔”にある、
【イエス・キリストの町】
と言われる町です。

この町ほど【キリストの宣教の舞台】となった町はありません。
【キリストの宣教の中心】です。

m(。≧Д≦。)mすみません、以前【カペナウム】は丘のような所にあると申しましたが、超勘違いで(30年前の記憶はヤバイ)、
”ガリラヤ湖”からほど近くの湖畔の町です。
(^^)”ガリラヤ湖”まではご近所のバス亭くらいの場所です。
だから【ペテロの家】があったのも頷けます。


 ところが、この町ほど、何故か忘れられた町はありません。
カペナウム】ですよ! 

【イエス・キリスト】や
【使徒ペテロ・ヨハネ】
が住み、

数々の奇跡の舞台となり、
【イエス様】
は上の”シナゴーグ”で教えておられたのですから?


!!(゜ロ゜ノ)ノそれなのに?【ナザレ】や
【ベツレヘム】の巨大な街としての発展をよそに、ここは【廃墟】なのです。




【ナザレ】や【ベツレヘム】が
”ローマ・カソリック”の巨大で壮麗な教会が建っているのに、ここはいかにも小さなものしかありません。

その理由は”イエス様御自身が、この町の不信仰を呪ったから”なのでしょうか?


マタイ福音書11章23)
「カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力ある業が、もしソドムでなされたのだったら、ソドムは今日まで残っていただろう。しかし、あのソドムのの地の方が、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちより罰が軽いのである。」

(ง `ω´)ง 上の【聖書】の御言葉通り、

【カペナウム】の命運は尽きたのか?

現在は「廃墟」であります!


【カペナウム】という町は、
「イエスの町」と言われるように
「イエス様」お住みなり
「使徒ペテロ・ヨハネ」らの家もあった所ですが、かなりな不信仰の町で
”キリストの言葉”を信じなかった為
他の
”ベツサイダ””コラジン”らの町と共に、厳しい
”お叱り”を受けたのでした


【カペナウム】はしかし、
皮肉にもこれほど
”キリスト時代”まま残る町はありません。
ここは【イエス様が住まれ愛された町】でもあります。♪


【ナザレ】【ベツレヘム】などは2000年前の
片鱗も無く発展しており、
都市にすらなっています。

⋆* ⁑⋆* (๑•﹏•)⋆* ⁑⋆*
これでは”イエス様時代”の面影はですから~

これはですね”神様の御計画”でしょう。
【カペナウム】
”イエス・キリスト”の最重要遺跡の一つですから、後世にそのまま残必要があったのですね。この町の遺跡を見れば、当時の規模なりが、かなり彷彿と理解できますから。

【カペナウム】は”ガリラヤ湖”の北端に位置し、近くに”ローマの街道”があった為、
交通の要所であり、商業などで栄え
”ローマの徴税所”もあり”ローマ軍も駐屯”
すべて傭兵)していた

【ガリラヤ】ではまあまあ大きな町でした。

スマイル下の”ティベリヤ”とは近い町です。
私達は今回の旅行でこの”ティベリヤ”に宿泊しました。


(最も近辺で大きな街は”ティベリヤ”現在もホテル群が建しならぶリゾート、皇帝ティベリウスに献上された街)


しかし、遺跡の規模からして、
現代では
「地方の小団地の数区画程度の
小さな町」
と言えます。
下の写真をご覧下さい
(๑˃̵ᴗ˂̵)و !

これは、中央の”シナゴーグ遺跡”の土台部分ですが、
黒い玄武岩の部分が”キリスト時代”のシナゴーグ」です。
上に”2~3世紀の”ローマ時代”のシナゴーグが建った訳で、実は
【イエス・キリスト】は
この”シナゴーグ”で説教をされていたのです。





(マルコ福音書1章21~22節)

『それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。人々はその教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようではなく、権威ある者のように教えられたからである。』

(マルコ福音書2章1~2)

『数日たって、イエスがカペナウムにおられることが知れ渡った。それで多くの人が集まえった為、戸口の所まで隙間も無いほどになった。この人たちにイエスはみことばを話しておられら。』 

【イエス様】はこのように”シナゴーグ”で教えられました。


₍₍ ( ๑॔˃̶◡ ˂̶๑॓)◞♡そう考えると、

”イエス様”が立って教えておられた所に立つ、

何と光栄で感動でしょうか?


ヾ(⌒▽⌒)ゞそれどころか、

【ユダヤ教のシナゴーグ】は、当時ご町内の
”公民館”のような役割もしていた訳で、
”ペテロ””ヨハネ””アンデレ””ヤコブ”さんら、
後の使徒達も、”安息日”には必ずここで神様に祈りをささげていました。

 彼らは”ベツサイダ”など他の町の出身ですが、この町に住むようになってからは、この
”シナゴーグ”で、子供の頃勉強も習っていた筈です。
【使徒ペテロ】は弟子になる前にすでに家族持ちでしたから、ペテロのお子様達もここで読み書きを習っていたかもです。

(^^)ここには、【ペテロの家】もあります。




ご覧のように、6角形?の形をした”ペテロの家”と呼ばれる遺跡があり、”弟子ペテロ”は網本であったとも言われます。ここから”ガリラヤ湖”までは、ご近所のバス停ほどの距離ですから、納得です。
現在はこの上に大きな教会堂があります。


【カペナウム】は交通の要所でもあり、商業
盛んな町でしたので、ここで”ペテロ”らの獲った魚も売買されたのでしょう。

【カペナウム】の住居跡は、このように広い範囲の遺跡として発掘されている。



写真から推測するに、当時の住居はこのように
”集合住宅”のような作りであったようです。

(^^;)”一戸建て”では無いんですね。外的の侵入から守る為、村村などもこのような集合住宅が多かったようです。
(聖書時代の生活~参照)

【カペナウム】の町の遠隔は以下の
(ウイッキ)のようになります。7世紀まで
”ローマ。属州”の一部として栄え人が居住していた様子ですが、その後衰退。
 ”ユダヤ戦争”の舞台にならず存続していた様子ですが、「ローマ帝国東西分裂」により、ここは
「東ローマ帝国」の一部となり、後には
「オスマン・トルコ」の領地となるのであるから、その後に衰退して行ったようです。

 現在でも、リゾートとして利用される
【ティベリヤ】とは違い、この
”ガリラヤ湖北端地域”は発展から漏れたいたのか、
それとも【イエス様にお叱りを受けてせいか??
(・∇・)ン?【廃墟】のままである。
(ベツサイダ、コラジンも廃墟)


19世紀より西洋人の探検家らによる発掘が進み、ガリラヤ湖の北側のテル・フームでかなりの広範囲にカペナウムの廃墟が発見された。
紀元1世紀より紀元7世紀まで人が住んでいたことがわかっており、ハスモン朝により
紀元前2世紀頃に建てられ、ユダヤ戦争では戦場とならずに済んだもののやがて衰え、11世紀までには放棄されたとみられる。ここからはイエスが教えたといわれるシナゴーグも発掘された。

(`◎△◎)!?それにしても”不思議”なのは、
【ナザレ】【ベツレヘム】【エルサレム】など
【キリスト】の聖地には、カソリックによる巨大な【カセドラル】が造られているのだが、どうして、この
【キリストの町】と呼ばれる【カペナウム】が忘れられてしまったのか?
それは【発掘】されるまで
”行方不明”になっていたのでしょうね。

・・やはり、【イエス様】のお叱りのせいか?
ォオ~!!(゚Д゚ノ)ノ

(^^)そのおかげか、ここは【キリスト時代】のまま保護された訳ですから~
【イエス様の面影を抱きながら、土中に眠っていた訳ですね~♪】
超ロマン!
ハート






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最終更新日  May 30, 2017 06:29:27 PM
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