「日本でキリスト教を信じるのは何故かマジで大変だ!」
欧米人がキリスト教徒である事は、普通に普通だ!(笑)昔は、カソリックでは生まれた時に、洗礼をしていた。生まれた時から、普通にクリスチャンだった。この欧州の映像を見てみよう!◎ウィーン(オーストリヤ)◎プラハ(チェコ)◎「パリ」(フランス)「ローマ・ベニス他」(イタリヤ)欧州は殆どがカソリックが多い、当たり前と言えば当たり前だが、街には教会だらけ、街の中心にはどでかいカセドラルが聳えている。殆どの人が普通に『キリスト教徒』なのである。もちろん、他宗教に走る人、殆ど神など信じてない人、適当な人も多数いるだろうが、日本と同じように、亡くなる時は、神父(日本では坊主)を呼び、懺悔などして「イエス様私を天国にお導き下さい」と言って亡くなるのが普通に普通だ。こんな西洋では、「キリスト教徒」であるのが、当たり前で、でないのが「異常」である。子供の頃から、「聖書」を学び、2000年間も「キリスト教国」だったのだから、「キリストの教え、聖書の教え」は、欧米人の間に浸透している。普通に皆が『聖書』を良く知っている。もちろん、アメリカ、豪州などでも同じだ。「日本人は完全な異教徒と言って良い。「聖書」の中身を知っているのは、数少ない信者のみ。殆どの人が「聖書」の教えを完璧に知らないと言える。「イエス・キリスト」の名前を知ってるくらいだ。クリスマスさへ、「ケーキを食べる日、テーマパークへ行く日、イルミネーションをする日」としか認識は無い。こんな「日本」で「キリスト教」を信じるのは、恐ろしく大変だ。まず、「聖書的」な観念が恐ろしく乏しい。全く無知である。「聖書的観念」の上に人生がある欧米人とは、対局にあると言って良いでしょう。 ◎(。□。ハ←逆立ち・・・大体(^^;)欧米人は「キリストを信じられるか?どうか?」などと悩まない。「キリストを信じる事」=「人生であり、生活の一部」なのだ。日本人は、それが大変な悩みである。「神学校に行っても、帰ってきた時には無信者になっている。キリストなど信じられないと悩んでいる(笑)」、反対に日本では神社を信じるのに、悩むバカはあまりいない。普通に適当~に信じている。 「聖書学校」で膨大な書物を読んだ結果、「やはり神は居ない(笑)とか、キリストは信じられない」などと、超無駄な時間を膨大に使っても、「なかなか信じられない」(笑)大体何十冊の本を読んでからしか信じられない「神」とは、「何ぞや?」ではいでしょうか?本だけではなく、「ギリシャ語」をせっせと勉強し、そしてギリシャ語の「原本聖書」を読んだあげく、「やはり信じられない」~どれだけの無駄な時間が使われてるのか?だったり、何もしなくて良いから、「私はキリスト教は信じられません」と決心した方が、まだマシである。ちげぇょ!!(σ゜д゜)σ~大体何か「間違っている」のでは無いでしょうか?2000年以上も仏教国だったので、そんな観念しか持ってないので、どうしても「キリストという、外人さんの宗教が受け入れ難いというだけではないでしょうか?」でなきゃ、欧米人は、「バカ」だからすぐに信じられる。と本気で思ってしまうのです。日本人もバカでも東大出でも同じように「仏教的な観念」は何も教えられなくても理解出来るではないですか?「所業無情」とか~「牧師」ですら、すぐに「信仰」が揺らぐ事も多い。 欧米に住んでいたら、もしかしてだけど、「信仰」が揺るがないのでは?と思う。廻りの皆が信者なのだから(爆笑)それどこらろか、キリスト教徒になる予定すら無かったのに、いつのまにか「クリスチャン」になっているかもしれない(笑) ( ̄▽ ̄)ノ_彡☆バンバン!信じたくない人には無理にとは言いませんが、信じたい人は「あれこれ悩まず、信じてれば良いのです。」日本には、イエス様が居ませんが、欧米には普通に街中はイエス様だらけですから~(笑)イエス様は信じる方々の所に来られるのですね~ o(*⌒―⌒*)oにこっ♪ 何が言いたいのか?と言うと、「四の五の言わずに、信じたかったら「素直に信じてれば良い」ではないか?と言う事です。「聖書」には良い事が書いてある。イエス・キリストは「私を信じる者だけが救われる」と言われておりますので、他の宗教は「これだけが救われます」と言ってないです。~と言う事は、そう言ってる「人(イエス・キリスト)」を信じた方が安全ではないですか?もし、本当に「神の世界があって、信じてない人は入れなかったら、どうするのでしょうか?」大量の無駄な本を読みあさり、ギリシャ語まで学習し、人生の膨大な時間をかけないと、解らない宗教ってどんなんでしょう??(笑)◎上のVTRのような事から、「恐らく日本人は、くどくど悩むのでしょう。どうしても信じらんない。」と~。「欧米では、慣習として疑いもなく信じています。それは仏教徒の日本人が、何故か死ぬ時は「戒名」をつけて貰ったり、坊主にお教をあげてもらうくらい、当然、通常、普通、当たり前、人間の慣習、なくらい普通な事なのです。欧米人は。「日本人のように「何故処女が子供を産めるのかっ?」と悩みに悩む事はありません。あなたは、自分の葬式に坊主を呼ぶのに「本当に極楽があるのか?調べてみなきゃ死ねない。」と悩む事は無いのではないでしょうか?欧米人も同じように、「キリスト教」という宗教の慣習として、普通に信じるのです。あなたが、坊主のお経を、わけわかん無いけど、ありがたがって聞くのと、同じです。「キリスト」を信じるのに、「バカなくらい悩みぬく」事こそ、バカバカしいのです。普通に「仏教」が良いですか?「キリスト教」が良いですか?好きな方を、どうぞ単純に信じていれば良いのです。「無駄な努力をする愚か者」について、次はお話しましょう。(^^)と言う事でですね、いちいち「処女降誕が信じられない。十字架の救いとは何なのだ?死者の復活など非科学で信じられない。「聖書」は誰が書いたが確信が持てないから信じられない。天国&地獄などあるわけない」~こんな事を次々に悩み、無駄な努力をするよりも、「キリスト教」とはそんなものだと、単純に欧米人のように受け入れた方が、良いでしょう。少なくとも、欧米人は、そんな事を悩む事は少ないでしょうから~「キリスト教」はすでに彼らの慣習と一体となってるのです。日本人の不信は無駄でしかありません。「答え」などありません。