「ヨハネの手紙第2~反キリスト」♪
(新約聖書第2ヨハネの手紙)「長老から、選ばれた夫人とその子供たちへ。私はあなたがたを本当に愛しています。私だけでなく、真理を知ってる人みながそうです。このことは、私達のうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも私達と共にあります。真理と愛のうちに、御父と御父の御子イエス・キリストから来る恵と平安は、私達と共にあります。あなたの子供たちの中に、御父から私達が受けた命令どうりに真理の内を歩んでいる人たちがあるのを知って、非常に喜んでいます。そこで、夫人よ。お願いしたい事があります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私達が持っていたものなのですが、私達が互いに愛し合うという事です。愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛の内を歩むことです。何故お願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られた事を告白しない者が大勢世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。よく気をつけて、私達の労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。誰でも行き過ぎをして、キリストの教えの内にとどまらない者は神を持っていません。その教えの内にとどまっている者は御父も御子も持っています。あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつの言葉もかけてはいけません。そういう人にあいさつすれば、その悪い行いを共にする事になります。あながたがには書くべき事が沢山ありますが、紙と墨でしたくはありません。あなたがたのところに行って、顔を合わせて語りたいと思います。私達の喜びがまったものとなるためにです。選ばれたあなたの姉妹の子供達が、あなたによろしくと言っています。」「新約聖書のヨハネ第2の手紙」です。著者は、イエス・キリストの使徒で、あの愛された弟子「ヨハネ」、「ヨハネの黙示録」の著者です。この手紙の中を一読して頂けると解りますが、「反キリスト」の出現と、その者達は家にもいれず、付き合いもするな。という厳しい忠告です。実は当時の「反キリスト」は、「グノーシス派」という、ギリシャ哲学を支持するやからで、「キリストが人として世に来られた事を否定する」者達でした。◎「グノーシス主義」~https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9「グノーシス主義」については、どのような物であったか、完全には理解されてないようです。なにせ、太古の昔の哲学ですから。これに影響された者が、「キリストを否定」し、ヨハネは彼らを『反キリスト』(世の終わりに出現するとイエス様が預言された、惑わす者、サタンのやから)と呼んでいます。初代教会は、まずこの「グノーシス主義者」に悩まされました。それは、◎キリストが人として来られた事を否定◎キリストの教えと違った教えを説く現代ではさらに、さらに輪をかけたような「異端」が氾濫しております。「聖霊派、カリスマ派」(過激な奇跡を行うやから)、聖書を使っているが全く異質の宗教(エホバの証人、摂理)、そして、さらに~「自由主義神学」などと名乗り、キリスト教を「教会」から根こそぎ覆し破壊しようとする恐ろしい「反キリスト」です。単なる「異端」はすぐに見抜けるので、全くキリスト者には怖くはありません。(もともとキリスト教でないので)、ところが(#`゚д´)ノ∴;’・,ゴルァ!!!!この「自由主義神学」のやからは、現実に「牧師」をやっていたり、「神学者」を名乗っていて、密かに「教会」に侵入し、クリスチャンのふりをしながら、「自分は知的人間で、神学、歴史学、聖書学を学んでいて、その結果、キリストが居たという史実が乏しい事が解った。「聖書」の著者が使徒であるという事実が確認出来ない。実際の史実を見ると「聖書」は信頼出来ない。~などと、まことしやかなウソを並べたて、自分は学者なので、牧師なので、信頼出来る事などを理由に、キリスト者に「イエス・キリストと聖書、神の存在を否定したり、疑わせたりする」行為を行う恐ろしい『反キリスト』です。彼らは「牧師」の姿を偽装し、「神学者、専門家」の姿を偽装し、クリスチャン達の正しい信仰を捻じ曲げ、彼らを惑わせ、地獄へお供させるサタンの使いなのです。(#`-_ゝ-)ピキ「サタンは光の天使にすら偽装する」と聖書で言われております。彼らを信用してはいけません。使徒ヨハネは、「家に入れるな。付き合うな。挨拶もするな。」と言っております。もし、このような「自由主義神学者」を名乗る「牧師」「神学者」を発見したら、すぐに退散して下さいませ。(#`-_ゝ-)「サタンの使い~666」です。危険です。前にクドイようですが、「文化系」と「理系」の話しをしましたが、「文化系」は事実を検証するのに(実験など出来ないので)議論します。「理科系」は事実を検証するのに「実験、観測」などを行います。どちらが、「事実」に忠実がおわかりでしょうか?「議論」というのは単なる頭の中の観念論で事実が存在しません。しかし、「実験、観測」には事実の検証が存在します。それでですね、理科好きの語学系の私は、どうしても、「「哲学」のような頭の中の空論・観念論」が好きではないのです。「事実・真実」こそがすべてだと思うからです。「歴史家」は史跡を見たり分析などもしますが、2000年前の歴史は再現不可能なので、「推測、憶測」これだけをします。事実とはかけ離れていてもいたしかたありません。つまり、「自由主義神学者たち」は、自分の意見が絶対的に正しいような言い方をしますが、結局は「推測、憶測」でしかありません。嘘です。使徒ヨハネは名言しています。「キリストが人としてこられた事を否定する者たち」と。これはですね(((-’д-)y-~ イライラ、もう「キリスト教徒」では無いと言う事です。何故「牧師」を続行してるのか?「神学者」を名乗ってるのか?理解不能です。「インチキ宗教屋」これ以外に命名する事が出来ません。この人達は、「神も、聖書も、キリストも信じてないのです。」これが「クリスチャン」と言える筈すらありません。彼らは既にキリスト教徒を逸脱し、無信者になっているのに、「牧師」をしたり、「神学者」を名乗っているのです。「牧師のふりをしてインチキ宗教をしてる人」、「歴史学者」で「聖書」を研究してる人で、無信者という事が妥当です。こんな人は自分の「学問」をやってるのだから、「キリスト信者」の「信仰」に口出しする事は出来ない筈なのです。だ~って「無信者」だもの。choto「オレオレ詐欺師みたいな」~「牧師」になり済まして盗む物は「お金」ではなく、「命とか魂」(怖)ですか~?..・ヾ(。 ̄□ ̄)ツ ギャァ!! それなのに、まさに「666」(獣の数字)、「教会」に忍び込んで、仲間の振りをしながら、聖徒達を惑わし、「キリスト、神、聖書に不信を抱かせ」、ゲヘナにお供する「反キリスト」の実態です。それが「自由主義神学者」を名乗る者達です。(((-’д-)y-~ 注意点=いかにも理知的学者の振りをして真実を語っている振りをしますが、すべて頭の中の観念論、推測・憶測の域を出ないもの~だと言う事です。彼らの言う事を真実などと信じてはいけませんよ。「クリスチャンたち」♪ヨハネさんもきっと申しておるでしょう。まあ、もっとも現在の所、最も巧妙で、「教会」に密かに「偽りの真実を持ちこんで、根こそぎキリストの教えを崩壊させるサタンの最優秀業でしょうか?「牧師」ですら、惑わされる凄業ですから~。