”ルカによる福音書”~イエスとバプテスマのヨハネ!
(ルカによる福音書7章17~35節) 『イエスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一体に広まった。 さて、ヨハネの弟子たちは、これらのすべてのことをヨハネに報告した。すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、「おいでになる筈の方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか。」と言わせた。 ふたりは御元に来て言った。「バプテスマのヨハネから遣わされてまいりました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも私達はなお他の方を待つべきでしょうか。」とヨハネが申しております。 ちょどその頃、イエスは多くの人々の病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。 そうして答えて、こう言われた。「あなたがたが行って、自分の見たり、聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえがある気、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。だれでも、わたしにつかずかない者は幸いです。」 ヨハネの遣いが帰ってから、イエスは群集に、ヨハネについて話し出しだされた。「あなたがたが、誰を見に荒野に出ていったのですか。風に揺れる葦ですか。でなかったら、何を見に行ったのですか。きらびやかな着物を着、ぜいたくに暮らしている人々なら宮殿に居ます。でなかったら、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そのとおり。だが、わたしが言いましょう。予言者よりもすぐれた者をです。 その人こそ、『見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を備えさせよう。』と書かれている人です。あなたがたに言いますが、女から生まれた者で、ヨハネより優れた者は一人も居ません。しかし、神の国で一番小さな者も、彼よりも優れています。 ヨハネの教えを聞いたすべての民は、収税人達さへ、ヨハネのバプテスマを受けて、神の正しい事を認めたのです。これに反して、パリサイ人律法の専門家達は、彼からバプテスマを受けないで、神の御心を拒みました。 では、この時代の人々を何に喩えたら良いでしょう。何に似ているでしょう。市場に座って、互いに呼びかけながら、こう言ってる子供達に似ています。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、君たちは泣かなかった。」 というわけは、バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、葡萄酒も飲まずに居ると、『あれは悪霊に憑かれている』とあなたがたは言うし、人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれを見よ。食いしん坊の大酒飲み、主税人や徴税人の仲間だ』というのです。だが、知恵の正しい事は、すべての子供たちが証明します。』 ”バプテスマのヨハネ”は、常にクムランの”エッセネ派”との関連を言われる預言者ですが、この”洗礼者ヨハネの教え”は、◎世の終わりが来る(終末思想)◎悔い改めのバプテスマ◎禁欲生活のすすめ。このように、”非常に”禁欲的(断食祈祷の奨励)”なもので”ヨハネ”自身、質素な”ラクダの毛皮の服”(預言者エリヤの装束)、独身、荒野で修行し質素な食事(イナゴと野蜜)を特長とするものでした。”ユダヤ教の一派”でありました。しかし、”バプテスマのヨハネ”の教えは”悔い改めが”中心で”永遠の救い”はありません。 つまり、”ヨハネの洗礼”を受けても”救い”は無いのです。”悔い改めて神に立ち返る”事で、神様に喜ばれる・・という事です。”洗礼者ヨハネ”が明確に”エッセネ派”と書いたものはありませんが、”教え&ライフスタイル”が”エッセネ派”に酷似していた訳です。彼は”悔い改めのバプテスマ”を説きながら「ヨルダン川」で多くの人々に”洗礼”を授けていました。(ヨハネがイエス様に洗礼を授けたと言われる、「イスラエル・クサル・ヤフード」(エルサレムに近い所)「ルカによる福音書」では、”イエス様”と”ヨハネ”は従弟の間柄と記されています。しかし、”ヨハネ”はここでは、”イエス様”の所に使いを送って「来るべき方はあなたですか?」と尋ねています。これは、ちょっと不思議な行動ですが、実は”洗礼者ヨハネの教え”と”イエス・キリストの教え”はかなり相違があったという事です。”洗礼者ヨハネ”は『非常に禁欲的・律法を守る事重視』”イエス・キリストの教え”の特徴!◎”キリストを信じる者の永遠の救い”●あまり禁欲を重視しない(しかし”金銭欲”を戒めるなどしているので、全く”禁欲”しなかったのではない。)◎律法をガチガチに守る事を勧めない(律法厳守より”神への愛””隣人愛”)◎終末思想(世の終わりが来る)と言う訳で、これを見ると【イエス・キリストの教え】は当時の”ユダヤ社会”で画期的であります。”バプテスマのヨハネ”=砂漠地帯の”クムラン・エッセネ派”のように禁欲修行を主軸にした教え。(エッセネ派は最古の”修道院”と呼ばれる)”イエス・キリストの教え”=緑豊かでおおらかな”ガリラヤ”に根差した、おおらかな神への信仰!(ガリラヤ湖)と言う事が出来ます。【イエス・キリストの教え】は”ガリラヤ地方”に実は根差した教えであったのです。”イエス様”の喩は”農耕・自然”を描写した物が殆どです。”ガリラヤ”は”死海・クムラン”(砂漠地帯)と違い”緑豊かな亜熱帯”なのです。(イスラエルの鮮やかな花々)この事を考えると【イエス・キリスト】の言葉(教え)は”ガリラヤ”に根差したもので、”エルサレム”他の人が捏造は不可能であります。(少なくとも”ガリラヤ人”しか捏造不可能) ”ガリラヤ”自体が”禁欲的な場所”では無いのです。そこは食物も豊かな農業地帯、(そのには”死”の砂漠が無い)おおらかな恵豊かな神への賛歌”がある場所なのです。その為【イエス・キリストの教え】には、厳しい禁欲・懺悔と断食の生活などが少ないです。このように、”洗礼者ヨハネの教え”と相違が大きかった為、”ヨハネ”は”遣い”をよこし、「来るべき”メシヤ”はあなたですか?」と尋ねる事になったと言います。しかし、【イエス様】は「あなたがたが行って、自分の見たり、聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえがある気、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。だれでも、わたしにつかずかない者は幸いです。」と言われました。そして”ヨハネ”を群集の前で讃えて、「女から生まれた者で”ヨハネ”より偉大な者は居ない。この人こそ、「わたしは使いをあなたの前に使わして、あなたの道を整えさせよう」と言われた人です」と言われました。これは”イザヤ書19章18節「その日、耳しいた者が書物の言葉を聞き、盲人の目が暗黒と闇の中から物を見る。へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。」”の預言の言葉を引いて示した”イエス様”の御言葉です。”洗礼者ヨハネ”は偉大な預言者であるが、”永遠の救いを齎す”メシヤ”ではなかったという事です。”ヨハネ自身”も自分を”メシヤ”とは言っておらず、”荒野で叫ぶ者の声”であると言っています。【この時代の人】の喩これは当時の”子供の遊び”を引き合いに喩えていて、二組に別れ、前の子供に色々なジェスチャーをさせる遊びで、”笛を吹いても、踊ってくれない。弔いの歌を歌ったのに、その通りに泣いてくれない”という喩えです。つまり”キリスト”や”ヨハネ”がそのように求めても、その通りにしない人々でしょうか?”洗礼者ヨハネ”が”パン”も食べず、葡萄酒も飲まず断食修行していると、「あれは悪霊に憑かれている」と言い、「人の子」が食べたり飲んだりしていると、「あれは大食いののん兵衛」などと言い、徴税人や罪人の仲間などと言う。・・つまり「何をやってもけなす・・」と言う事ですね。(笑)しかし”知恵の正しさ”は将来ある子供達(子孫達)が証明する事でしょう。・・という意味でしょう。つまり、別の訳で、【正しい知恵】であった事は将来の人々がそれを証明する。という意味です。実は”キリストの教え”は、古代の”律法遵守”より、より進んだ、”進歩的な教え”でした。”律法遵守”は、”律法”さへ守れば、心の内は何でも良いのです。例)「弱者を守れ」(弱者を保護すれば、ホントは弱者など無駄だと内心思っていてもOKなのです。)しかし【キリスト】は「内面のありよう」を重視しました。「心で思っているだけでも悪い。心から弱者を保護しなければならない。」という現在の倫理観に通じるより進歩した”教え”をした訳です。だから【ローマ帝国】に広がって行きます。それは人類のさらなる進歩的な”教え”であった訳です。例)(マタイ9:13)「わたしは憐れみは好むが、いけにえは好まない」とはどういう意味か行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招く為に来たのではなく、罪人を招く為に来たのです。」