「コロサイ人への手紙10」♪
(コロサイ人への手紙4章)『主人達よ。あなたがたは、自分達の主も天におられる事を知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。同時に私達の為にも、神がみことばの為に門を開いて下さって、私達がキリストの奥義を語れるように、祈って下さい。この奥義のために私は牢に入れられています。また、私がこの奥義を当然語るべき語り方で、はっきり語れるように祈って下さい。外部の人に対して賢明に振舞い、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたの言葉が、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方が解ります。私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終知らせるでしょう。私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私達の様子を知り、彼によって心に励ましを受ける為にほかなりません。また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。私と一緒に囚人となっている、アリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバの従兄であるマルコも同じです。--この人については、もし彼があなたがたの所に行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人達だけが、神の国の為に働く同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。あなたがたの一人、キリスト・イエスのそもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことが出来るように、あなたがたのために祈りに励んでいます。私はあかしします。彼はあなたがたのために、またラオデキヤとヒエラポリスに居る人々のために、非常に苦労しています。愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。どうかラオデキヤの兄弟達に、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言って下さい。この手紙があなたがたの所で読まれたなら、またラオデキヤ人の教会でも読まれるようにして下さい。あなたがたの方もラオデキヤから回ってくる手紙を読むようにして下さい。アルキポに、「主にあって受けた務めを、注意して果たすように」と言って下さい。パウロが自筆であいさつを送ります。私が牢に繋がれている事を覚えて下さい。どうか、恵があなたがたと共にありますように。』この4章で「コロサイ人への手紙」は最後になります。ですので、パウロからコロサイの信徒達への挨拶や、お願い、他の宣教者達からのことずてなどが最後は沢山書いてあり、(^^;)カタカナばっかで誰が誰だか解らない~という感じですが、使徒パウロはこのように、牢に繋がれながらも「「せっせと手紙を書き」他の『教会』へも回して読んで下さい。」とお願いしています。このように、『初代教会』では、使徒達やパウロの手紙が回し読みされ、『信仰の成長』となっていったのでは無いでしょうか?特にパウロは『異端』について厳しく忠告し、『正しい教会形成に人力しました。』現代でも、大量の「異端」(自由主義神学の一部)が出回っているので、当時も大変だったろうと思います。最初の所は『奴隷』の『主人達』へ、自分達もキリストに仕える者である事を思い、『奴隷』には公平で正義な扱いをしなさい。と教えています。当時の『奴隷』とは無学な無一文な者ではなく、征服された国の被征服民はすぐに『奴隷』にされたので、学が高い学者~普通の人まで誰でも『奴隷』にされていました。医者であった福音書記者の『ルカ』もローマ高官の『奴隷』でありました。◎「ラオデキヤ教会」~こちらも「コロサイ教会」「ヒエロポリス教会」の近く、現在のトルコにあった「教会」です。(動画はラオデキヤの遺跡です。)◎「オネシモ」~有力なキリスト者ピレモンの所から逃亡した奴隷で、パウロに遭って回心し、熱心な信徒になった人。◎「エパフラス」~「コロサイ教会」を作った人。コロサイ出身のパウロの同労者で、自分が造った「コロサイ教会」を気にかけ、毎日祈りに励んでいた様子をパウロが書いています。◎「バルナバ」~使徒とも呼ばれた「慰めの子」という名前を頂いた熱心な宣教者。パウロと同じ「レビ族のユダヤ人」でキプロス島生まれ。全財産を教会に捧げ、パウロと宣教を共にした。「聖人」に登録されている。◎「アリスタルコ」~「テサロニケ教会の中心的人物」マケドニヤ人で、ギリシャ系の人である。◎「医者ルカ」~「ルカ福音書」「使徒行伝」の著者である、医者のルカである。彼はテオピロというローマ高官の奴隷の医師で、パウロの有力な同労者であり、「福音書」の著者である。「奴隷」というのは当時は被征服者は、学が高かろうがすぐに『奴隷』にされたので、医師でありながら『奴隷の身分』でした。◎「ルカ」~https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AB◎「バルナバの従兄マルコ」~この人こそ、最初の福音書「マルコによる福音書」の著者であると目されておる人です。『聖人』に列席されている人である。◎「マルコ」~https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3_(%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E8%A8%98%E8%80%85)『目をさまして、感謝を持って、たゆみなく祈りなさい!』と勧めています。『祈り』は『クリスチャンにとって神様と出あう場であり、呼吸と同じ事であります』『祈り』を欠かす事は「不信仰や信仰の低迷に繋がり」パウロはその為に、常に感謝を持って絶えず祈りに励むように教えています。又、使徒パウロほどの信仰の人であっても、『キリストの奥義を正しく語る事が出来るように、祈って下さい!』とお願いしていますね。それほど、『祈り!』というのは大切であります。「宣教やるだけやるけど、祈りなどしない!」これでは神様が働かれません。まず『祈る!』これが大切ですね。とにかく何に対しても『祈り!』それを忘れてはいけません。『祈りは呼吸である』と言われる牧師さんも居ますがその通りで、『祈り』を忘れると「呼吸が出来なくなり、神様と心が通じなくなる」そのような感じであります。『常に祈りの中で、神様と出会う!』これが大切であります。毎日少しの時間でも、祈りましょう。西洋では必ず食事の前にも「感謝の祈りをします」(映画などで見るでしょう)。また、「あなたがたの言葉が外部の人々に『塩味が効いたもの』であり親切であるように~とも言っております。『塩味』とはイエス様が言われた「地が塩味を失ったら何で味をつけるのでしょう、あなたがたは地の塩です。」と言う御言葉からでしょう。つまり『神への信仰』だと思います。『塩味=堅い信仰心』を持った事を語りなさい。と言っているのだと思います。