『ユダヤの高名な歴史家「ヨセフス」による「イエス・キリスト」の記録!
ユダヤ人で『ユダヤ戦記』(ユダヤのローマ帝国への反乱)を記述し、自らもユダヤ人として戦った、高名なユダヤの歴史家『ヨセフス』さんを紹介しましょう。良く引用に出てきます。◎「ヨセフス」~https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%BB%んざE3%83%95%E3%82%B9彼の生没は(AD37~100)と言う事ですので、彼はイエス様処刑時には生まれておりません。ですから、「イエス・キリスト」についての記事は、後の人からの口述や記録から調べたものです。同じように「昨日ポンテオ・ピラト総督」についての彼の記事を引用しましたが、ピラトもヨセフスさんが活躍するとっくの昔に退任したいたので、それも又人々からの聞き取り、書き置きなどから、調べて書いたのでしょう。昔の歴史について言えば、「写真、ビデオ、記録媒体(SDカード、USB,DVD)など全く存在しな時代、完全な把握は不可能であります。すべて憶測であります。皆さんはNHKの大河ドラマを見て、「織田信長」がその通りの人物だと誤解してますが、本当の実像はもう再現不可能です。人物画から、手紙や彼の行動などから、推測して造り上げた物で、本物はたとえ「気性が荒い人」と言っても多種存在します、「気性が荒いが以外に気が小さい」「気性も荒く豪胆な正確」「気性が荒くいやらしくネチこい」「気性が荒くサバサバしてる」「気性が荒く因縁深い」などなそ、同じ「気性が荒い性格」でも千差万別な物があります。それゆえ、推測像が実像とかけ離れていてもしかたがないのです。本当の実像はもう再現出来ません。「ポンテオ・ピラト」の「冷徹無慈悲」という性格もどこまで実像を現しているのか、不明です。「聖書」に登場する「ピラト」は「冷徹」な感じはありますが、「無慈悲」な感じより、「親切、真面目」な感じですからね(笑)ホントケ~?ところで、その高名なユダヤ歴史家「ヨセフス」さんが、「イエス・キリスト」について書いています。以下はこちらの方のブログから「引用させて」頂きました。◎「横田キリスト教会」http://bible.yokota-church.info/worth/wtnss.html『ヨセフスは彼の著作である「古代史」の第18巻3、3で次のように述べています。「さて、このころ賢人イエスがいた・・彼を人と呼ぶことが正当であればのことであるが。なぜならば彼は驚くべき業を行う者であり、真理を喜んで受け入れる者たちの教師であったからである。彼はユダヤ人の多くの者たちと異邦人の多くの者たちとを自分のもとに引き寄せた。彼はキリストであった。そして、ピラトがわれわれの中のおもだった者たちに促されて彼に十字架刑の判決を下したとき、彼を最初に愛した者たちは彼を捨てなかった。なぜならば彼は三日目に再び生きて彼らに現れたからである。神の預言者たちが彼についてこれらのこととほかの多くの驚くべきことを予言したとおりである。そしてキリスト教徒(クリスチャン)・・彼らは彼にちなんでこのように呼ばれている・・の仲間は今日も消滅していない。』と、このように「イエス様」の記録は、ちゃんとヨセフスと言う高名なユダヤ歴史家の著書に残っていますし、「ローマ帝国の歴史」にも「イエスというローマへの反逆罪で処刑された男が居た」と記録されています。(^^;)高名なユダヤ系陰謀「自由主義神学者」のブルドック叔父さん、「ブルトマン」のように、「イエス・キリストの存在や、使徒の存在を抹殺し、ついでに「聖書」は全部創作じゃ」と言う方がおり、それに被れてる訳の解らん「牧師、神学者」が居ますが(すでに信者じゃなので、早く廃業するか、カルト教団でも造れば良いのです)、わたしの行ってた「教会」のイカレタ牧師も「イエスの十字架など無かった」と『教会』で話してました。この人は、何で「キリスト教会」の牧師をしてるのか?全く理解出来ません。すでに、『異端、カルト』です。では聞きますが、『仏教』で『シャカ』と言う人が居て、修行で解脱し「仏教」を開いた~この証拠はどこにあるのでしょうか?これも『捏造じゃ』と言ってしまえるのですね~!「歴史」なんて。(^^)話しは変わりますが、ここでも一応イエス様は、祭司、一部のユダヤ人の訴えにより総督ピラトから処刑された。となっていますね。だから「大祭司カヤパ」が「死刑じゃ」と判断して訴えた。という前提になっているようです。経緯は不明です。しかし、この「大祭司カヤパ」は総督ピラトと組んでいたか?圧力をかけられていた。~と考えられます。「バプテスマのヨハネ」の処刑も奇妙です。ご覧下さい。(マルコ福音書6章)「このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、 盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。』(^^;)ここでも、かなり「ヘロデ」が「ヨハネに好意的であった様子」で描かれており、イエス様の時の全く同じです。処刑の手を下したのは「ヘロデ」であるのに、「しかたがないから。」とか「困ったが」とか、「王は彼を聖なる人と思い保護を加え、彼の話しを喜んで聞いた」など、「そんなにヨハネが好きなら、何で牢に入れるんだよ(怒)」と怒りたくなるくらい、「ヘロデ王」へのごますり書きが激しい。またまた、イエス様同様、本人は本意でなく、「妻がそそのかした、娘が望んだ」と他人に責任転嫁するあたりも、『イエス・キリストのピラトによる処刑」とソックリである。どう見ても「福音書」が「ローマ帝国には敵しません。無害です。」とごますりをしてるのを見て取れます。(一応ヘロデもローマが建てた王)ですから。ヘロデはユダヤ人でもありません。エドムというアラブ人系です。だから処刑方法も似て(www)ますね。まあ次のシーンでは、「ヘロデ官邸のイエス様」をお話しますので、その時に~。「ポンテオ・ピラト」もイエス様を必至で救おうと努力し、「この人は無実だ。正しい人だ。釈放しよう。」と務めるし、イエス様の話しを聞くなど、親身な態度で表現されています。(ムカつきますね。しかたがないとしても。ヨハネの時とあまりにソックリですね。「ポンテオ・ピラト」が真犯人と前に言いましたが、これは「ローマ帝国」の問題ですから、彼の独断であったとしても、それが事実かはもう確定は不能です。「元老院の指示」だったり、「引きこもり皇帝が厳しく処置しろ!と命令してたり」「上のシリヤ総督が命じてたり」する可能性もあるので、決定は出来ません。すいません。「独断」と決定は出来ません。あるいは、本当に「大祭司が訴えてきた」と否定も出来ません(過去の事なので)。しかし、「推理小説でも、現実事件でも、イエス様が死んで一番得をするのが、真犯人でしょう、損をする人が殺したりはしません。」、「ユダヤ祭司達」に何の得があるのか解りません。もしイエス様がすでに膨大な信者を集め、「ユダヤ教徒」が居なくなるくらいなら、「殺してしまたら得でしょうが」(笑)、まだそこまで行ってたとは想像出来ない。一番「得」を得るのは、やはり「ローマ帝国」や「総督ピラト」でしょう。「つまらん反乱の火種が消えてほっとする」というやつです。まあしかし、『聖書』を理解出来ない人や、読んだ事も無い人が『捏造説』を支持するのでしょうね。どうやって、あれを『捏造』出来るのか?考えられません。「イエス」というメシヤを創作し、宣教状態を創作し、12使徒を創作し、ピラトに捕えられ十字架刑になり、それが「人類の贖罪」だと創作する。まるで(^^;)『ロード・オブ・ザ・リング』の作者も顔まけの想像力だこと?