(^^)映画【使徒パウロ愛と赦しの物語】感想~「あなたがたは、パウロのようであれッ!」
ヽ(*^^*)ノ何とか・・映画【使徒パウロ愛と赦しの物語】を見に行く事が出来ました。 海外では沢山あるのかも知れませんが、【使徒達の活躍】を描く映画、もっと作られても良いですよね。 どのように、【キリスト教】が発展してきたかを知る事は、とても重要だと思いました。 また、この【使徒達の物語】も、冒険、危険、陰謀、波乱に満ちた、見ごたえのあるものであると思います。 作品としては、「歴史物」的な作りで、時代は【皇帝ネロ】(暴君ネロ帝)の時代。紀元37~68年在位で、最後は自殺しています。 ちょっと頭がおかしかったとか、異常な暴君であった事で有名。「皇帝ネロ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AD 側近や政敵を次々に謀殺したり、紀元64年に起きた【ローマの大火】の時、その犯人を【キリスト教徒】だとして、大迫害を開始し、沢山の【キリスト教徒】が惨殺された・・そのような時代の物語でした。 この【ネロ皇帝】の迫害で、【使徒パウロ】をはじめ、【12使徒】の殆どが殉教したと言われています。 映画が暗いトーンなのも、そのような暗黒時代であった為でしょう。 紀元64年の【ローマの大火】は、現代でも真犯人は頭が狂った「ネロ皇帝」であるとする説も有力だ。その後自殺している。 当時のローマは人口が100万人にもなっていた。映画でも繁栄する「ローマ」を離れるか離れないか?で悩む信徒が描かれている。 【ローマ大火】ではその3分の2も焼ける大被害だった。この放火の責任を【キリスト教徒】として、迫害し、大量の【キリスト教徒】が残酷な方法で処刑されました。(ウイッキでの「火あぶりにされるキリスト教徒」)また、ライオンの餌にされたり、【暴君ネロ】の暴挙は続きました。このような暗黒時代、酷い迫害に耐える「キリスト教徒」の急進派は「闘い」をいどもうとする者も居た。 映画のこの場面では、当時はまだ「福音書」などが出来ておらず、【キリスト教教義】も、各地域でバラつきがあった事が伺える。 徹底した【愛と非暴力(キリストを継承する)】を説く【聖パウロ】と、「武力で対抗しようとする急進派クリスチャン」が対立している。 【使徒パウロ】が最後まで、どれほど痛めつけられ、信徒を虐殺されても、【愛と赦し】で立ち向かう姿が感動的だ。 良く「口先だけクリスチャン」と悪口を言われますが、【聖パウロ】は、口だけでなく、行動も徹底した【愛と赦し】を貫く! 暴力に暴力で対抗する事を、【使徒パウロ】は厳しく戒めています。 そして医者ルカを演じる【ジム・カヴィーゼル】は端正な顔でしたよ~。目が青いね(^^)♪ 【医者ルカ】は、その【聖パウロ】の教えを、書留めて行く役目です。 自ら危険な投獄されている【使徒パウロ】の牢に毎日出向き、彼は【使徒行伝】を書いて行くのです。 そのような熱心な弟子【ルカ】(「ルカ福音書」「使徒行伝」の著者)も、余りに酷い迫害の惨状に、怒りを燃やし「戦おう」とします。 しかし、【聖パウロ】は彼も「暴力で暴力には勝てない。愛のみが暴力に勝つのだ。」と教えます。 迫害に耐える「ローマ信徒」達は、余りの惨状に「エフェソス」などに逃亡する事もしました。ちょっと暗いトーンが続く映画ですが、【暴君ネロ時代】について良く学ぶ事が出来ます。 またこの時代に【12使徒達】【使徒パウロ】が殉教して行くいきさつが解ります。 【使徒パウロ】伝では、彼が、若い青年として出て来て(○ゲてません笑)、「キリスト教徒」を迫害し、そして死に追いやった【罪の意識】が、長く【パウロ】を後悔させている様子が理解でき、【聖パウロ】の改心が、深い深い「罪の悔い改め」から起きた事が理解でき、彼のその後の【命がけの宣教の情熱】の理由も解って、とても良いです。(^^)だから、【聖パウロ】は最初から薄毛ではなく、若く情熱的な青年だったのです。 この殉教する紀元64年には、当時では”お年”になっていた事でしょう。 【聖パウロ】が、薄毛である必要性は無く、これは「イメージの捏造」という事でしょう。 偉大な使徒【パウロ】を薄毛にしたのは・・恐らくこの方のイメージが重なったのでしょう。「ギリシャの偉大な哲学者プラトン(左)、右は「ソクラテス」です。 つまりは【知性に富んだ偉大な使徒パウロ】を、このような「プラトン」のように、教え諭す人という「イメージ化」では無いでしょうか? 余り”ネタバレ”まくってもしらけるのですが、最後は、とにかく泣かせます。 「クリスチャン」なら感動します。 私もウルウルしました。後ろでもグスグス言ってました。小さい劇場ながら、結構来てて驚きでした、きっと「クリスチャン」ですよね。 普通にこのような歴史洋画を見ないっすよね(笑) 【ローマ人高官の娘の病】を救ったのに、結局【聖パウロ】は「ローマ大火」の首謀者として”斬首刑”にされるのです。 【聖パウロ】は「ローマ市民権」もあるのに、超不当な理由ですよね。 大体「ローマ市民権」保持者は、裁判を受ける権利や、不当な理由で処刑されない権利がある筈なんで・・やはり【皇帝ネロ】による「見せしめ」だったのでしょう。 (´_`。)グスン何の罪も無いのに、「鞭打ち」や「投獄」そして処刑される【聖パウロ】 しかし彼は斬首される最後にも言います「私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル人への手紙12章1節) 彼は最後・・「私は私の前に置かれている競争を忍耐を持って走り通したッ」・・とヾ(@† ▽ †@)ノこの言葉、マジで・・私にズシン・ドシンと来ましたよ! 人生のかなり終盤を走っている私は・・「アンタは、しっかり人生を走りぬいたんかい?」 マジで痛い言葉ですねッ。【聖パウロ】は、天国で【イエス・キリスト様】から・・「パウロよ!良く頑張った!」絶対言われるよね。 私(^^;)は何と言われるのかッ?「・・んんん、もっと頑張れんかったのか?」それは優しすぎる。「・・・んんん。残念だね。」ギャーッ!!「・・・無言」ウギャーーーツ!!悲し過ぎる。 ”クリスチャン”として・・「あなたは、目の前に置かれてる競争を忍耐を持って走っているだろうか?」 先日「駅伝」で骨折したのに、そのまま這いつくばってゴールまで這って行った人が、賛否両論だったが・・「クリスチャン」だったらこれくらいの根性を見せないといけないのではないだろうか?(実際は身体に悪いから辞めた方が良い。が、この”根性”は素晴らしい!) じゃあ、「一般人」でも・・ あなたは自分が死ぬ時に.. 「私は良くやったッ!人生を頑張ったッ!」と晴れ晴れと言って死ねるだろうか? それとも・・「残念だ。自分はサボってばかりで、何でもっと頑張る事が出来なかったのか?やり残した事ばかりだ。自分として残念な人生だった。」・・と後悔しながら”死”を迎えるのか?【聖パウロ】は・・処刑の悲哀に遇いながらも「私は私の人生の競争を走り抜いた」・・と言って天国へ旅立つ! 何と素晴らしい生涯だろうか・・ ぎゃ~ッ!!私とは全然違うじゃないか?自分はまだまだじゃないか?尾畠さんの「本」読なきゃ(爆笑)マジで、何もやってないじゃないか?ああ!私もこんな風に最後は言いたい!! (^^;)そんな”お腹”にズンとイッパツくらう映画でした。GOOD!!【パウロ役】凄い上手かったぜ!「ジム・カヴィーゼル」さん、【復活】待ってます♪クリスチャンにしては、カッコ良すぎ♪端正ですよね(^^)【友よ時代のパウロたれッ!ジム・カヴィーゼル】つうか?声良すぎ!つうか?【キリスト様】が現れたような、この凄い人気は何だ(爆笑) マジで「キリスト様」が語っているように見えて、アカンわ~♪ 話がカッコ良すぎで、今日から「キリスト教徒」になりそうじゃん(笑)