カテゴリ:詩歌つれづれ
前エントリーの西行の名歌に関して、「春死なむ」が終止形でなく、それに接続する「こと」や「もの」などの体言が省略された、「連体形の準体言(見なし体言)用法」であろうと書いたが、これは古典ではきわめて広く用いられる語法なので、ちょっと説明しておきたい。
この語法は今なお決して死に絶えたわけではなく、現代日本語でも(特に詩的な表現などにおいて)しばしば散見される。 「貼るはサロンパス」は「貼る(もの)はサロンパス(である)」などの括弧内が省略された言い回しである。 「(思い込んだら試練の道を)行くが男の生きる道」(「巨人の星」テーマソング)は、「行くことが男の生きる道である」の省略形である。 松任谷由実「14番目の月」にも出てくる「言わぬが花」という言葉は「言わぬ(こと)が花(なり)」の省略。 同様に、「負けるが勝ち」も「負ける(こと)が勝ち(になる)」の省略。 古典文法に則った文語を用いることも多い短歌では、例えば「北朝鮮の愚かなる見ゆ」などといった表現が可能である。 これは、「北朝鮮の愚かなることが見ゆ」の省略形である(「見ゆ」は「見える」を意味する古語動詞の終止形)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月05日 15時49分32秒
コメント(0) | コメントを書く
[詩歌つれづれ] カテゴリの最新記事
|
|