カテゴリ:詩歌つれづれ
歌人の河野裕子(かわの・ゆうこ)さんが永眠されました。
享年64歳の若さでした。 かねてから大ファンであり、深く敬愛しておりました。 この場を借りまして、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 生前最後の歌集は、昨年12月刊の「葦舟」となりました。
■ 河野裕子「体力温存」(「短歌研究」2008年11月号) 歌人の河野裕子さん死去 戦後女性短歌の第一人者 64歳 【読売新聞】 女性の身体性に深く根ざした感覚で、家族の関係や日常を詠んだ歌人の河野裕子(かわの・ゆうこ、本名・永田裕子=ながた・ゆうこ)さんが12日午後8時7分、乳がんのため亡くなった。64歳だった。家族で密葬を行い、後日、お別れ会を開く。喪主は歌人で細胞生物学者の夫、永田和宏・京都産業大教授。 京都女子大在学中、23歳で角川短歌賞を受賞。〈たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか〉などの生命力あふれる歌で戦後生まれの女性歌人の先頭を切った。1977年「ひるがほ」で現代歌人協会賞、2001年「歩く」で若山牧水賞、09年「母系」で斎藤茂吉短歌文学賞と迢空賞を受賞した。宮中歌会始選者も務めた。 18歳で歌誌「コスモス」に入ったが、89年に退会、翌年、「塔」に入会した。和宏さんは93年から「塔」主宰を務め、長女の紅(こう)さんも01年に現代歌人協会賞を受賞した歌人。 00年に乳がんが見つかり、手術を受けた。より切実なものとなった家族との日々を、〈をんなの人に生まれて来たことは良かつたよ子供やあなたにミルク温める〉と詠み続けていたが、08年に再発が分かった。 09年に出た第14歌集「葦舟」でも、〈そこにとどまれ全身が癌ではないのだ夏陽背にせし影起きあがる〉と、病に立ち向かう日常を短歌に託した。 歌人・俵万智さんの話「自分が歌を作り始めたころから活躍されていて、大きな目標だった。女性らしさを肩ひじ張らず、おおらかに自信を持って表現されたのは、すごく新しかった。恋や命を育む母など女性ならではの歌を作ってこられた。本当に残念です」 〔読売新聞 2010年8月13日〕 ■ 読売新聞1面コラム「編集手帳」8月14日付 河野裕子さんの歌は小欄でも過去に何度か引用させてもらった。どの記事も、ふさぐ心で筆をとった記憶がある◆例えば6年前、大阪府内の男子中学生(当時15歳)が親から食事らしい食事を与えられず、小学2年並みの体重24キロ、骨と皮の餓死寸前で保護されたときに引いた一首。〈しつかりと飯を食はせて陽(ひ)にあてしふとんにくるみて寝かす仕合(しあわ)せ〉◆あるいはロシア南部、北オセチアで武装集団が学校を占拠し、100人を超す子供たちが犠牲になったときに引いた一首。〈朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの〉。ふっと世相が暗くなるたび、燭(しょく)台(だい)の灯を借りるように河野さんの歌を借りてきた◆「母性」というものを詠ませては、当代随一であるのみならず、記紀万葉から数えても指折りの歌人であったろう。乳がんを手術し、闘病生活を送っていた河野さんが64歳で亡くなった◆いままた、母親の「育児放棄」によって幼い命が二つ、無残に散ったばかりである。〈子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る〉。その人が残した燭台の灯が胸にしみる。 〔読売新聞 2010年8月14日 01時08分〕 河野裕子さん 64歳 歌人、毎日歌壇選者【毎日新聞】 現代女性短歌を代表する歌人で、毎日歌壇選者の河野裕子(かわの・ゆうこ、本名・永田裕子=ながた・ゆうこ)さんが12日午後8時7分、乳がんのため死去した。64歳。葬儀は近親者だけで行う。お別れの会を後日開く。喪主は夫で歌人の永田和宏(かずひろ)さん。 熊本県生まれ。京都女子大在学中に角川短歌賞を受賞した。さらに、歌集「ひるがほ」で現代歌人協会賞、「歩く」で若山牧水賞、「母系」で迢空賞を受賞するなど、戦後生まれの女性歌人の第一人者として活躍した。1990年から毎日歌壇選者を務めていた。 長男の淳さん、長女の紅さんも歌人。10年前に乳がんを患ったが、闘病の傍ら旺盛な作歌を続けていた。12日夕も毎日歌壇の選歌原稿を送るなど、最後まで仕事を続けていた。 〔毎日新聞 2010年8月13日 13時08分〕 現代女性歌人の第一人者・河野裕子さん死去 64歳【朝日新聞】 女性の身体や感性をしなやかに詠みあげた、戦後生まれを代表する歌人、河野裕子(かわの・ゆうこ、本名永田裕子〈ながた・ゆうこ〉)さんが12日午後8時7分、乳がんのため死去した。64歳だった。葬儀は近親者のみで行う。お別れの会を後日開く。喪主は朝日歌壇の選者を務める歌人で京都産業大教授の夫、永田和宏(かずひろ)さん。 熊本県生まれ。1969年、23歳で角川短歌賞を受賞しデビュー。青春の恋愛歌をおさめた第1歌集「森のやうに獣のやうに」(72年)のほか、「ひるがほ」(76年)で現代歌人協会賞、「桜森」(81年)で、現代女流短歌賞を受け、現代の女性歌人の第一人者となった。 〈たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり〉のように、自然と女性の体の豊かさを重ね、のびやかに歌ったほか、〈君を打ち子を打ち灼(や)けるごとき掌(て)よざんざんばらんと髪とき眠る〉と、言葉の力強さを大胆に打ち出す作風で知られ、恋愛、結婚、出産、子育て、闘病、母の介護など、女性の人生をモチーフに詠み続けた。 母の最期をみとる歌集「母系」で2009年、歌壇で最も権威のある賞といわれる迢空(ちょうくう)賞と斎藤茂吉短歌文学賞をダブル受賞した。 夫の和宏さんが編集発行人を務める歌誌「塔」で活躍した。「おしどり歌人夫婦」で知られ、ともに宮中歌会始の選者。長男の淳さん、長女紅さんも歌人。 10年前に乳がんを患って手術した。その後、再発し、がんと闘いながら創作活動を続け、毎日新聞の歌壇選者を務めていた。 〔朝日新聞 2010年8月13日 12時49分〕 歌人の河野裕子さん死去 女性歌人第一人者【産経新聞】 みずみずしい感性で、女性としての生を力強く表現した短歌で知られ、本紙夕刊のエッセー「お茶にしようか」を連載中の歌人、河野裕子(かわの・ゆうこ、本名・永田裕子=ながた・ゆうこ)さんが12日、乳がんのため亡くなった。64歳。葬儀は密葬で行う。喪主は京都産業大学教授で歌人の夫、永田和宏(かずひろ)さん。後日、お別れの会を開催する予定。 熊本県出身。昭和44年、京都女子大在学中に「桜花の記憶」で角川短歌賞を受賞。47年に最初の歌集「森のやうに獣のやうに」を出し、同年、学生時代に知り合った永田さんと結婚。その後、妊娠、出産、子育て、家族のことなど、身近な題材を研ぎ澄まされた感性で表現した。 昭和52年、「ひるがほ」で現代歌人協会賞、平成14年、「歩く」で紫式部文学賞、若山牧水賞、21年、「母系」で斎藤茂吉短歌文学賞、迢空賞を受賞。21年からは宮中歌会始選者をつとめた。 河野さんはがんを患いながらも、昨年9月から、夫の和宏さん、長男の淳さん、長女の紅さんとともに、産経新聞夕刊文化面で、歌人一家リレーエッセー「お茶にしようか」を連載していた。 〔産経新聞 2010.8.13 13:32〕 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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