カテゴリ:カテゴリ未分類
今日も暑いNY. 気温は30度近いです。
そのため、ライブラリーは異常に寒いです。エアコンが効きすぎなのです。冷え性の私には、つらいです。 冬用カーディガンは、夏の必須アイテムだったりします(笑)。 また、外と中の気温度差が激しいので、外に出ると、頭がクラクラ。 それでは、完結編です。 今までのポイントをまとめると、沈黙には、様々な機能がある。結婚してくださいといわれて、黙っているのが「Yes」という意味に捉えられる場合もあれば、「NO」と解釈される場合もある。 又、その人が比較的「沈黙」かどうかは、それぞれの文化における沈黙への寛容度が違うということを以前に述べた。フィンランドの人が、コミュニケーションにおいて、沈黙が長くとも不快に思わないのに関して、アメリカの人が、長い間話さないでいるのを不快に感じるといったようなことだ。 学校の授業内における沈黙については、それぞれの文化における教育方針が大きく関係しているようだ。それは、その文化が「話すことによって学習」を奨励するのか、または、「聞くことによって学習」するのかということだ。 今回の実験のデータは、アンケート調査をもとにして得たものである。既存の研究と違う点は、日本人だけでなく、アメリカ人の生徒にも、意見を求めたことである。 しかし ボランティアしてくれたアメリカ人は7人、日本人は6人と少ないので、このリサーチの結果を一般化することはできなく、あくまでも、今後のリサーチへの指標であると思ってほしい。 アンケートには、年齢層やアメリカの滞在暦などだけでなく、沈黙に関する様々な質問が記されている。 結果は、アメリカ人も日本人の学生も、アメリカの大学院において、授業中に意見を言うことを大切であると考えている。しかし、日本人学生全員が授業中にSilentであると答えた。アメリカ人の学生のうち、4人のみが、授業中によく意見を言うと答えた。 このことは、すべてのアメリカ人が意見をよく言うとは、限らないことを示す。つまり、意見をよく言うのは、一部のアメリカ人学生のみである。 また、沈黙していても授業に参加していると思うか?の問いに対して、日本人は、Yesと答えたのに対して、アメリカ人は、Noと答えた。 つまり、日本人の生徒は、Silentであっても、ノートを取ったり、先生の講義に相槌をうったり、頭の中で積極的に議論されていることを考えたりしていることを「クラスに参加している」と考えているのだ。 また、教授はSilentな学生を否定的にとらえると思うか?の問いに対し、アメリカ人の学生は、Yes と答えたが、日本人学生は、NOと答えた。 つまり、日本人の学生は、Silentな自分たちを教授がネガテイヴに見ているとは、思っていなく、それは、教授が文化的な背景の違いや、それぞれの生徒の学習スタイルが違うということを理解していてくれているためであると答えた。 しかし、アメリカ人の学生は、授業中の沈黙は、議論されていることに、興味を示していないということと同じであると解釈していた。 それでは、比較的Silentであると答えた学生のSilentの原因は何か? つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
昨日、知り合いの大学教授が「今年も日本人がサマースクールに沢山くる予定だが、日本人は真面目なので教え甲斐があるよ!」と言ってました。
Silent=真面目と解釈しているようです。 (June 3, 2006 02:25:03 AM)
こぶたのほっぺさん
>昨日、知り合いの大学教授が「今年も日本人がサマースクールに沢山くる予定だが、日本人は真面目なので教え甲斐があるよ!」と言ってました。 >Silent=真面目と解釈しているようです。 ----- その人は、スコティッシュなのかしら?日本人は、一般的に(私も含めて!)真面目ですよね! (June 3, 2006 10:02:34 AM) |
|