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カテゴリ:考えるヒント
空梅雨のなか水の満たされた水田の緑が日毎に色濃くなってきた。先週までは帰省中の息子2人と夫婦で、賑やかに4人と1匹の散歩だったが、歯医者に予約している家内もいない本日は1人と1匹で寂しい散歩となる。 複数で散歩するときには会話が何よりの楽しみとなるが、独りのときには色んな事を考えるのが楽しみである。気になって折り目をつけていたウチダ教授の『村上春樹にご用心』の一節が思い浮かぶ。 ********************** 「親と子が何でも話せる楽しい家庭」という標語を街角で見て、なにげなく歩きすぎたあと、村上春樹はその標語について深く考え込んでしまった。 ───親と子が何でも話せる家庭というのは本当に楽しい家庭なんだろうか?と僕はその標語の前に立って、根本的に考えこんでしまう。こういう標語は時として根本的な思考の確認を迫ることがある。僕は思うのだけれど、家庭というのはこれはあくまで暫定的な制度である。それは絶対的なものでもないし、確定的なものでもない。はっきり言えば、それは通りすぎていくものである。不断に変化し移りゆくものである。そしてその暫定性の危うさを認識することによって、家庭はその構成員のそれぞれの自我をソフトに吸収していくことができる。それがなければ、家庭というものはただの無意味な硬直した幻想でしかない。(村上春樹)─── 家庭というのは「暫定的な制度」であり、つかのまに移ろい消えてゆくものである。そして、それゆえにこそ、私たちを統合する力を持ち、制度として機能している。安定的で恒久的なものは人間たちを統合することができない。失われるものだけに私たちは美を感じる。家族も同様に「失われるもの」を軸として構造化されなければならない。(内田樹) ********************** 「4人と1匹」→「1人と1匹」への移ろいについて考えた。大学にもどった息子たちは京都での就職が濃厚になってきている。暫定的な制度である家庭の危うさがいよいよ現実味を帯びてきた。ふるさとは遠きにありて思ふもの、息子たちにとっては失われる家庭によって未来が担保されているのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
小トラ72さん
1Q84はバカ売れしているみたいです。村上作品 のシチュエーションにはいつも惑わされています。でも読みたくなるから不思議です。 小トラさんと村上春樹さんは親子くらいの世代差でしょうか。私は村上さんの年に近いので子供世代の考えがいまひとつ掴めませんが、やっぱり親子は離れているのがいいのですね。 (2009.06.26 22:23:44) |
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