孝標の娘は行成と関係がありました
「更級日記」の作者は菅原孝標の娘で、「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱の母の姪に当たる女性です。「蜻蛉日記」の終わりの方に、産屋ことでお祝いを送った、とあるのが、孝標の娘の誕生かもしれないとよく言われます。わかりませんが。歌人としても知られた伯母である道綱の母同様、彼女も和歌に優れ、勅撰集に12首選ばれています。孝標の娘は京で生まれ、9歳位から13歳位までを上総の国(千葉県)で暮らし、父親の期が終わったので京都に帰る旅を描くことから始まるのが「更級日記」です。 (C)NHKこの後、孝標は藤原行成の家の家司を務めています。家司は、三位以上の公卿の家の財政関係をはじめ、儀式の準備などを行う大事な役職なので、主と信頼関係がなければ務まりません。紫式部の父為時は、具平親王家の家司を務めていました。だから、大河ドラマのような貧乏暮らしをしていたわけではありません。また、紫式部も恐らく具平親王家の女房として出仕していたと考えられます。孝標と行成の関係がわかるのも、やはり「更級日記」の中の記述からです。行成にはとても可愛がっていた娘がおり、道長の末息子である長家と数え年12歳の時に結婚しています。ところが、それから4年程で行成の娘は流行り病で亡くなってしまいました。孝標の娘は、行成の娘が書いたものをお手本としなさい、と言われて渡されていました。孝標の役得ですね。その行成の娘が書いたものの中に、「鳥辺山谷にけぶりのもえたたば はかなく見えしわれと知らなむ (拾遺集・哀傷・詠み人知らず)もし鳥辺野に煙が立ったなら、平素はかなく見えた私と知って欲しい (現代語訳 関根慶子)」という和歌があったので、まるでご自分のことを予期したような歌だと、孝標の娘は益々涙にくれたとあります。 その後、孝標の娘の家に可愛らしい猫が迷い込みます。「家族には内緒で飼いましょう」と姉が言い、2人は猫を飼い始めます。姉が病気になったので家が慌ただしくなり、猫も家の北の方に追いやられます。ある日、目覚めた姉が孝標の娘に、「猫はどこ❓夢に出てきたのだけど、あの猫は大納言様(行成)の姫君の生まれ変わりだそうよ。」と言いました。夢に出てきた猫は、大納言の娘の生まれ変わりであること、この殿の中の君(2番目の姫君=孝標の娘)が、亡くなった私のことをしきりにあわれと思って下さるので、しばしここにいようと思っている。それなのに、近頃下々の者たちの中に追いやられているのがひどく辛い、とも伝えたのです。当時は夢は重要視されたので、猫は元のように屋敷の奥に迎えられます。大層上品な猫で、「大納言殿の姫君」と呼びかけると、わかっているように鳴いて近づいて来る、とあります。父孝標も、「滅多に聞かないことだ。大納言殿にお知らせ申し上げよう」と言っていました。でもこの猫ちゃん、火事で死んでしまい、孝標の娘はとても残念に感じています。人間に生まれても、猫に生まれ変わることがあるのかは疑問ですが、「しばし」孝標の娘の元にいようと思う、と言ったとありますから、必要な期間が終わったということでしょうか。猫の模様などの記述がないのが、残念ですね。 いつもポチっと応援ありがとうございます(=^・・^=)にほんブログ村にほんブログ村