作品との対話
気がついたらずいぶん日記をさぼってしまった。大きな作品をかいていて、期限にもかかわらず、さっぱり納得いかずで試行錯誤していたら、すっかり日にちが過ぎていました。一区切りついて、日記の空白日数と家事がしっかりたまってしまいました。ま、まずい。今日はさまざまあとかた付け、お掃除、たまったメール返信等々。年末に知り合った40後半か50歳ぐらいの作家と話したときに、「かなりの作品をつくっていたひとが、30後半から40代でつくらなくなる」といっていたことが、最近なんとなくわかる気がしてくる。ずっと、作っていくことは、結構なが~い。あたりまえだけど。そして、なんでつくっているのか、なにをつくっているのか、どう社会のなかでつくっているのか、どのようなかたちで生み出していくのか、それらを考えていくことは、けっこうしんどいことだったりする。まじめに考えれば考えるほど。逆に単純に考えれば結構楽しいことだったりもしたりする。そんななかで、なんとなくいきずまったりするんだろうな、と思う。最近、気分の浮かないような時期に、妙に、営業で叩き込んだことが朝おきたら浮かんでいたりした。いくら動いても何もでてこないときには、どんと構えて根拠がなくても好転することを信じてさらに動いていたこと。一日のなかの小さな成果の積み重ねが、ある日の大きな幸運や好調の波に乗る体力をつけていたこと。悪材料を好材料にかえる発想の転換を重ねていたこと。成果のないときには、動きながら動きの分析を重ねたこと、など。これ、身につけていたんだなぁ。仕事だけじゃなくて人生自体にもっと前から自覚的にとりいれられればよかったなぁ。そして、作品への取り組みで、悩みのループになりそうなときに、役にたってきています。作品や人生との対話は苦いときがあってもそれを味わい深いものにしたいと思う今日この頃です。