テーマ:歩いて愉しむ東京(898)
カテゴリ:フォトグラファー
青山通りから六本木に向かう外苑東通り沿いにあるこの建物。
都営住宅です。都営住宅でも南青山にあるって、ちょっと魅力的な物件かもしれませんね。 さらに六本木方面に向かって歩くと、旧乃木邸があります。 門柱には「舊乃木邸」とありますが「舊」というのは「旧」という字の旧字体なんですね。 もちろん、名前のとおり、日清・日露戦争を戦った陸軍大将乃木希典(1849~1912)の邸宅地です。明治天皇崩御の後に殉死された乃木将軍の遺言により、公園として東京市に寄贈され、大正2年に開設されました。現在は港区の有形文化財に指定され、港区により管理されているそうです。 こちらの建物が乃木邸です。黒塗りの板張りで飾り気がなく、将軍のお宅にしては質素な造りでした。ちなみに通常、邸内は非公開となっていますが、年三回内部も一般公開されていて、MoMo太郎の訪れた日は、丁度内部公開されていた日でした。 内部の撮影はできなかったので、庭園にあった「乃木将軍と辻占売少年像」を撮影してみました。 明治24年(1891年)、乃木希典が陸軍少将の時代、用務で金沢を訪れた折りのことです。希典は金沢で偶然、当時8歳の今越清三郎少年に出会います。今越少年は、辻占売りを営みながら一家の生計を支えていました。この姿に感銘を受けた希典は、少年を励まし、金弐円を手渡しました。今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界で大きな実績を積み上げました。 こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして建立された銅像です。 こちらは馬小屋です。煉瓦造りで母屋より立派な建物。やはり昔の軍隊にとっては馬はとても大切なものだったんで、乃木将軍もこういう立派な馬小屋を造らせたんでしょうね。 旧乃木邸の庭園です。 乃木邸庭園の瘞(えい)血の處 です。 殉死したときに血が付いたものを埋めた場所だそうです。. 「瘞」という字は、「うめる。うずめる。埋葬する。」という意味の漢字なんですね。 【つづく】 【東京いのちの電話について】 MoMo太郎の昨日の投稿に対して、次のようなコメントをいただきました。 このような事実誤認も著しいコメントを信じないようにして下さい。 >いのちの電話は専門の工程を終了したボランティア、精神科の先生などはいないと思いますよ。 >運営も100%自前、寄付などによって運営されて365日24時間人がいますが、当然のように人為>は極端に少ないのが現実です。 >公共からの支援はありません。 これに対して事実としては以下の通りです。 東京いのちの電話では、「土曜医療相談」(→→→こちら)として、電話相談を受けた中で専門的な対応が必要な場合に土曜医療相談の電話番号をお知らせし、身体・健康・病気など医療に関する相談を受けています。 毎週土曜(祝祭日を除く)14時~17時に医師がボランティアで電話を受けています。 つまり、カトリック医師会、キリスト者医科連盟等が協力しています。 このコメントをいただいた方は北海道にお住いのようで、北海道でこのような取り組みをされているかどうかはわかりません。 十分ではないかと思いますが、厚生労働省では、地域自殺対策強化事業(→→→こちら)、自殺防止対策事業(→→→こちら)などにより、いのちの電話をはじめとする自殺対策強化へ交付金による助成を行っています。 このようにMoMo太郎は事実関係を確認して記事を書くようにしております。 人気ブログランキング 青山散歩(その2) 旧乃木邸 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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