テーマ:歩いて愉しむ東京(991)
カテゴリ:フォトグラファー
哲学堂公園の次は中野沼袋氷川神社(→→→こちら)に向かいます。
哲学堂公園を出たところにある、中野通り(だと思う)を新井薬師の方へ向かってしばらく南下して行きます。 そして蛇行する妙正寺川を渡り、 さらに今度は沼袋駅に向かって右折して住宅街の中を歩き、またこの妙正寺川を横切ります。 そして、中野沼袋氷川神社の大きな案内板がありました。 駅からハイキングに参加したのは5月12日だったので、6月にあるお祭りの大きな案内板がありました。 大きな石造りの鳥居です。 社号碑には氷川神社と刻まれています。現在の埼玉県さいたま市にある武蔵国の一の宮である氷川神社から分霊された神社なのですね。、 階段を登って二の鳥居になります。 この狛犬は、子育て狛犬と呼ばれ、子供を抱いてあやしている珍しい狛犬です。3回撫でるとお産が軽くなり、子育てが順調に進むと言い伝えられています。 子供を産むことはないですが、3回撫でてはみました。 JA東京グループの設置した江戸・東京の野菜の説明板がありました。東京大越瓜(とうきょうおおしろうり)というのは、奈良漬専用として現在の豊島区、中野区、練馬地区で広く栽培されていたそうです。 こちらに並べられている大きな石は、力石(ちからいし)です。 力石とは、昔、若者たちが力比べに使ったもので、持ち上げられた「大石」に、その重量や姓名を刻んで奉納したものです。こういう大きな石を持ち上げることで一人前と認められたんでしょうね。 お正月やお祭りの際、奉納舞踊やお囃子などが披露される神楽殿です。 新しいのは、天皇陛下御大典奉祝記念事業として、令和元年に改修したからだそうです。 参拝記念の写真撮影がこの大きな絵馬の前でできるみたいです。お正月の初詣の時に家族記念写真で撮影するのに良さそうですね。 切株だけ残ったこれは、道灌杉と呼ばれているそうです。 文明9年(1477年)に太田道灌が豊島氏との間で合戦(江古田・沼袋原の戦い)の際に、当神社に陣営を置いたと言われ、その際戦勝を祈願して境内に杉の木を植えたと言われている。これが「道灌杉」と呼ばれ、高さ30メートルほどの大木となり、長く親しまれてきたが1942年に枯死し今はこの痕跡だけとなったそうです。 この神社、太田道灌とのゆかりが深いのでしょうね。 そしてこちらが社殿です。厄除け・疫病除けのご利益があるとされている須佐之男命(スサノオノミコト)が御祭神としてお祀りされています。 扁額は、名誉宮司の小俣茂氏が揮毫したものだそうです。 ちなみに、この社殿も新しいですが、昭和63年(1988年)に昭和天皇在位60年を記念して作られた社殿が、1年数か月後の平成3年(1990年)に過激派によるゲリラにより焼失してしったため、改めて、平成3年(1991年)に造営されたそうです。 (駅からハイキング、高田馬場駅から沼袋駅を歩いたコース) 【つづく】 人気ブログランキング 新緑の公園を歩いてトカイナカの町を目指す(その11) 中野沼袋氷川神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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