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明けましておめでとうございます。 みなさんが、自分も(〃艸〃) 穏やかな日々をおくれますように お祈りいたします。 健やかに丁寧に過ごし、今年もささやかな事をブログに書いて楽しんでいきます。 12月、ふる里に帰った時の富士山です。 80近い母を連れ出して近くの石和温泉<糸柳>に泊まり、翌日は山梨市の<根津記念館>に寄りました。 そこから見た富士山。 冬の富士は青に白い稜線がくっきり映えて一年で最も美しい。 霞の様にたなびいているのは方々の畑で剪定された枝を焼く煙。 手前の枝は桃の木です。 ~玄関~ 根津記念館は<鉄道王>と呼ばれた<根津嘉一郎>の実家で一族の屋敷です。 子供がなかったので、甥によって昭和の初期に整備されました。 平成15年に根津家の後継者から山梨市に寄贈されて、20年に開館しました。 豪商の家に生まれた嘉一郎は政治家であり実業家。 群役所の書記から村長になり、上京すると甲州財閥を形成します。 衆議院議員、貴族院議員にもなりました。 長屋門、旧主屋、土蔵が国の有形文化財に指定されています。 敷地は白壁でぐるりと囲まれ、屋敷は青梅街道に面し、小川にかかる石橋を渡って長屋門から入ります。 正面左手に主屋敷、右手に青山荘があり、故郷山梨での迎賓館、大地主としての経営の場、住まいとしての機能を併せ持っています。 ~旧主屋~ 旧主屋はすっきりと整備されていますが、当時の近代技術が盛り込まれているのを見ることが出来ます。 建物の奥に三階建ての土蔵。 現在は根津家の資料が展示されていますが、厚い土壁とどでかい金庫が目を引きます。 旧主屋から玄関を通り青山荘へ進みます。 こちらは残されていた図面と現存していた基礎を基に再現され、山梨での迎賓館的な役割をしていたようです。 大大広間では茶会も出来る造りになっており、その続きで奥には茶室<燕子花>かきつばたがあります。 近代数寄者の嘉一郎好みの造りになっています。 茶室の周りには折々の茶花が植えられていて、ぐるりと散策するのも楽しみです。 数寄者の嘉一郎が収集した美術品は東京の自宅跡に建てた<根津美術館>で見ることが出来ます。 ~土蔵~ 大大広間と燕子花は一般に貸し出しされています。 青山荘の二階にあがると庭園<笛吹川>が見下ろせます。 立派な黒松は昭和8年神奈川の大磯にあった別荘から移植されたものとか。 この庭から見る富士山、計算された借景ですね。 写真ではなんとかカットしてますが、鉄塔や電線が幅をきかせていて・・・う~ん。残念です。 他に旧第八倉庫を近代的に再現した展示棟には嘉一郎を紹介する展示室があります。 嘉一郎が資本関係を持った鉄道会社は24社、多くの会社で社長などに就任しています。 「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」 という信念のもと、教育事業も手がけて、大正11年に旧制武蔵高等学校を創立。 山梨県下の全小学校には200台ものピアノやミシンが寄贈され、実物が展示されていました。 山梨には有名人が少ないなぁ・・・なんて思っていた子供の頃の桃さん。 <花子とアン>の村岡花子さん、こんな素敵な方がいたことも知りませんでした。 某国営TV局さん、根津嘉一郎さんのドラマやってくれないかなぁ~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
あけましておめでとうございます。
桃さん、お母さんとイイお正月をされましたね~ (January 7, 2018 10:04:25 AM)
あけましておめでとう
山梨市は信玄堤とか恵林寺位しか知らなかったなー こっちは車の来ない一本道で毎日の雪かきでひーこらしています 2日にはドカ雪で40センチにもなった 雪タイヤ付けないで観光に来る輩で時折渋滞が発生してます (January 7, 2018 11:28:25 PM)
母との旅行も年に3回x3年でいつの間にか、あちらこちらと行ってますね。
歩けるうちは行こうね。と言い合っていますが、年ごとに気弱になる母です。 じゅんさんのおかぁさんは長寿でしたよね。 (January 8, 2018 08:05:37 PM)
山梨は観光地施設が少なくて・・・自然が何よりの自慢です。でも、車がないとお話になりません。
山と湖と扇状地、最近は東京からのオシャレなお店が増えてきましたね。 (January 8, 2018 08:11:26 PM)
謹賀新年。こちらこそよろしくお願いします。
ホント、甲斐の国には文化が発達しませんでした。江戸への食糧をただひたすらに働いて送り続けました。 根津記念館は、最近の施設なので、わたしも2.3年前に知りました。 新館は市民に開放しているので庭を眺めながら、珈琲やお抹茶を出すコーナーがあったら素敵なのに~と、思いました。 (January 8, 2018 08:18:04 PM) |
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