前回までで、上丹生屋敷山遺跡の土器を一通り観察した。
上丹生屋敷山(丹生エリア)古墳前期土器編年―甕
上丹生屋敷山(丹生エリア)古墳前期土器編年―壺
上丹生屋敷山(丹生エリア)古墳前期土器編年―高坏、鉢、器台
今回は、器台やS字甕出現以降の環濠外段階をさらに細分できないか考える。主要な器種である甕に注目してみよう。下左の表は環濠外段階の各住居における甕の個数を在来系と外来系に分けて示したものだ。この表を見てみると在来系の甕のみを出土する住居、外来系の甕のみを出土する住居、両者が混在する住居があることがわかる。中央はこの出土土器による住居の分類を示した。太字は在来系なり外来系なり片方のカテゴリの甕が複数検出されて確度が高いと思われる住居。YA132号住居は甕が出土していないため分類はできなかった。YA159は甕は在来系だが、外来系の瓢壺と有稜高坏が出土しているので混在住居に数えた。
右は壺の出土数を在来系と外来系に分けて住居ごとに示したものだ。甕の結果と照らし合わせると、両者はよく一致し、在来甕の住居では在来壺が、混在住居では在来と外来の壺が混在する傾向が見て取れる。
(「上丹生屋敷山」の「住居段階推定」シート参照)
古墳中期に向けて在来系が消えていくという方向性を考えれば、大まかには在来住居→混在住居→外来住居という流れとなると思われる。そうすると以下のような段階が想定される。
1段階:環濠内段階
2段階:環濠外―在来住居段階
3段階:環濠外―混在住居段階
4段階:環濠外―外来住居段階
上丹生屋敷山遺跡は報告書[1]で住居ごとの段階分けがされている。環濠外段階の住居を対象に、おぢさんの段階分けと報告書のそれを照らし合わせてみた。報告書では環濠内段階を2段階、環濠外段階を4段階に分けており、おぢさん分類より細かい。1段階≒報告書1・2段階、2段階≒報告書3・4段階、3段階≒報告書5段階、4段階≒報告書6段階という対応になると思われる。網掛け部分が相違が出たところだが、大方一致しているといえそうだ。仮におぢさん段階と報告書段階が右図のような前後関係であったとすると矛盾するのはYA240とYA159のみとなる。
報告書の段階区分はS字甕の含まれる割合をメインにして、在来甕などを補助的に使いながら総合的に判断しているようだ。YA253とYA416段階のずれは一段階であり、ずれの原因は一部分が出土したS字甕をどう見るかという問題で、おぢさんの区分ではシステマティックに混在段階としているのでやむを得ない面がある。一方YA240とYA245では大きな相違が出てしまっている。
YA240は口縁端部が失われた甕1点と高坏1点、器台2点が図示されているのみで、やや資料が少ない。YA245は甕を含め多数の土器が出土している。どちらの住居もおぢさんが一部の甕を在来系と見做したことが相違の原因となっている。
〔左上〕YA240甕1 〔右上〕YA245甕1
〔左中〕YA159壺3
〔左下〕YA152甕2 〔右下〕YA249甕7
上の2つがおぢさんが在来系と見做した甕だ。これらの甕がどういう系統なのかが難しい。樽式の伝統的な甕とは異なって、くの字に強く屈曲する頸部を持つが、畿内系のような短い頸部ではなく、球胴化傾向もそれ程ではないように見える。これらは下の縄文が施された在来甕の、施文が欠落したものではないかとおぢさんは判断した。左中の壺も施文が無く、在来かどうかはっきりしないが、明らかに混在段階の住居YA159から出土している。
今のところ系統ははっきりしないが、これらの甕が出土した住居の土器を全体的にみると、後の段階に盛行したか、存続するものと見做した方が良いよう思われる。
報告書の段階分けに概ね一致した。今後、他の遺跡の土器などサンプルを増やして各段階の土器の特徴を明確化して確度を上げていこうと思う。
[1] 富岡市教育委員会 2009『丹生地区遺跡群』《本文編》
[2] 図版は全て 富岡市教育委員会 2009『丹生地区遺跡群』《図版編》から採った。