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おぢさんの覚え書き

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2018.10.21
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カテゴリ:歴史/考古学/毛人
東八木遺跡、阿曽岡・権現堂遺跡の東海系の系統に属すると思われる住居の土器を観察する。S字甕が含まれている住居を単純に東海系としたが、共伴するS字甕以外の土器が東海系かどうかは現時点おぢさんの知識では分からない。今回は単純にそれらに似たような形の土器を各地の報告書から拾ってみた。縮尺は統一していない。

 分類結果 「東八木、阿曽岡・権現堂」

 土器分類(在来系は「おぢさん」シート、外来系は「成塚向山」シート参照)
  ​鏑川上中流域弥生後期4期~古墳前期土器分類​

 鏑川上中流域のエリア区分(遺跡の位置もこちらで)
  ​鏑川上中流域の弥生集落分布​

 参考:
  東八木、阿曽岡・権現堂(阿曽岡・権現堂エリア)古墳前期土器編年―甕(在地系1)
  東八木、阿曽岡・権現堂(阿曽岡・権現堂エリア)古墳前期土器編年―(北陸系)

東海系住居
権現堂Ⅱ区83号住居、権現堂Ⅲ区153号住居が該当する。

《権現堂Ⅱ区83号住居》


4、5はS字甕。図を見る限り羽状ハケではなく放射状ハケのようにも見える。とすれば古いA類的なものとなるが、少しイレギュラーなだけか?5は横刷毛が残るF2(​C類​)、4は頸部までの残存で横刷毛は見えないが、横に開いた口縁部の形態からもF2としていいだろう。7もS字甕の台部とみて間違いないだろう。3の甕は何とも言えないが、それ以外のくの字甕や椀型の高坏は在来の系統とは思えない。くの字甕の頸部屈曲の角度や長さは3点共似た傾向を示しているように見える。底部の形が不明でこれだけではどこの系統ともいえない。椀型杯部の高坏は北陸にも東海にもありそうだが、図をよく見ると口縁端内部が面取りしてあるように見える。東海の有名な廻間遺跡の報告書を見ると杯部内面を面取りした高坏が廻間Ⅲ式2段階より前には一定程度みられるようだ。参考に廻間遺跡の椀型高坏を下に示す。
くの字甕の外面の調整は1がヘラナデ、2がヘラケズリ、6がハケとなっており各様だ。


廻間遺跡の椀型高坏

図からのみではっきりしないが、口縁端部内面は面取りされているように見える。


《権現堂Ⅲ区153号住居》


こちらは3のS字甕のみで東海系としてしまったが、2の小型甕はおそらく直立口縁(月影式影響甕)で北陸系。1、2は底部が肥厚しているように見える。4の鉢は権現堂Ⅱ区83号住居の高坏のように口縁端部内面が面取りされ、底部が小さく突出している。類例を探したが今のところ見つけられていない。6の器台は括れ部に厚みがあり、端部に面を持つ。この器台は北陸系住居と推測した権現堂Ⅲ区141号住居6の器台の形に近い。北陸系住居とした阿曽岡65号住居の器台も同じ系統かもしれない。


柳町遺跡(長野県飯山市)SI22

柳町遺跡の北陸系土器は関東への影響を考えると面白いものが多い。


廻間遺跡の器台

廻間遺跡の器台の中から権現堂の器台になるべく近いものを探したが、ピッタリと一致するものはない。ただ部分的には似たところもあり、この器台の系統が東海系であっても違和感はない。



左側は富山県、右側は長野県佐久市と中野市の遺跡から権現堂の器台に近いものを探した。廻間遺跡の例とどちらが似ているか甲乙つけがたい。器台に限らず、外来系土器の系統を割り出すのはなかなか難しい。S字甕があれば東海系住居としたが、在地の系統が明確には見いだせず、北陸系など外来系の影響が濃厚な所に東海の影響がかぶさったという印象を受ける。
東海系とした2軒の住居の土器のほか、阿曽岡65号住居24の有稜高坏、阿曽岡92号住居4, 5の有稜高坏が東海系と思われる。
科野で古墳前期に流行するハケ調整くの字甕[1]は在地の甕に北陸の甕の影響があって成立したと考えられるように、今回科野の土器を発掘調査報告書で見ていると在来、北陸、東海と簡単に割り切れないものが多く、かなり融合していたのではないかと感じた。また土器の移動と言っても、主に動くのは限られた器種ではないかという感触を得た。
権現堂Ⅲ区153号住居に似た器台が出土した権現堂Ⅲ区141号住居の土器も、1甕の口縁端部の面取りや胴部のハケ?(観察表ではヘラミガキ)、2甕の口縁部などから北陸系と推定し類例を探したが見つからずどういう系統なのかはっきりしない。

権現堂Ⅲ区141号住居の土器

科野のS字甕は毛野のものより早い時期のものが多いように感じる。『廻間遺跡』の報告書では「土器の移動」について考察するなかで、東山道経由での廻間様式の流入を想定している[2]。時期によって主要な流入経路に変遷があったかもしれないが、利根川や荒川を遡上するルートが主なルートであった可能性はないだろうか。荒川流域の土器の様相を確認したい。



[1] 青木一男 1999「古墳時代前期の土器の理解」『長野市内その3松原遺跡』 参照。
[2] 赤塚次郎 1990「考察」​『廻間遺跡』

図版は以下各報告書から採った。
 富岡市教育委員会 1997『東八木遺跡、阿曽岡・権現堂遺跡』
 愛知県埋蔵文化財センター 1990『廻間遺跡』
 飯山市教育委員会 1996『上野Ⅷ・柳町遺跡』
 富山県教育委員会 2013『下黒田遺跡・下佐野遺跡・諏訪遺跡・蔵野町東遺跡・蔵野町遺跡・駒方南遺跡発掘調査報告』
 富山県教育委員会 2004『富山市打出遺跡発掘調査報告書』
 佐久市教育委員会 2001『一本柳遺跡群 西一本柳遺跡V・VI 中長塚遺跡I・II 松の木遺跡I・II』
 中野市教育員会 1992​『間山』


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Last updated  2018.10.21 21:51:38
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おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ (続き)昔ある人がお…
おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ お久しぶりです。永ら…
おぢさん@ Re[1]:土器-編年(02/14) 上毛野形名さんへ 長いこと返信もせず失…
なんだかね@ Re[2]:無(03/15) おぢさんさんへ 遅ればせながら「人新世の…
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