カテゴリ:歴史/考古学/毛人
内匠上之宿遺跡は中高瀬観音山遺跡のある離れ山と呼ばれる東西方向の丘陵の東端にある。位置は下記の鏑川上中流域の弥生集落分布のリンクで確認してほしい。当遺跡からは弥生時代末頃の住居が4軒検出されている。住居の間には距離があり、集落というよりも散在という方が近い。
鏑川上中流域のエリア区分 鏑川上中流域の弥生集落分布 分類結果 「内匠上之宿」 土器分類の類型(在来系は「おぢさん」シート、外来系は「成塚向山」シート参照) 鏑川上中流域弥生後期4期~古墳前期土器分類 甕類型毎集計 残存部が少ないために分類できないものが多い。櫛描文の土器が図化されているのは5号住居のみで少ない。殆どが縄文の吉ヶ谷系。頸部輪積み(1文字目がB)のものが一定の存在を示しており、吉ヶ谷式の影響が濃厚である。各住居の甕から1点づつ選び以下に示した。下図の右側に配置した16号住居、21号住居の甕は、下に図を示したもの以外も、頸部に明確な屈曲部を持たず、滑らかに湾曲する形態を示している。これはおそらく吉ヶ谷式の影響だろう。櫛描文の有無や頸部形態など住居毎に若干個性がある。 〔左上〕5号住居1甕 〔右上〕16号住居6甕 〔左下〕10号住居6甕 〔右下〕21号住居1甕 壺類型毎集計 「上丹生屋敷山(丹生エリア)古墳前期土器編年―壺」の記事を書いているときに、壺の分類を変更する必要性を感じて、それ以降、壺の検討は保留していた。今回は、結節縄文の壺が気になったので、取り上げることとした。 〔左〕5号住居7壺 〔右〕16号住居7壺 5号住居7壺は折り返し口縁で折り返し部に波状文、口唇部に刻みが施されている。 16号住居の壺は頸部が短い上に広く甕に近い。「大きく開く単口縁」として分類したが、やや違和感がある。図から判断すると弱く面取りされているかも知れない。胴部外面には箆ミガキがしっかり残っている。 〔左上〕内匠上之宿遺跡10号住居1壺 〔右〕八木連荒畑遺跡4号住居1壺 〔左下〕古立中村遺跡30号住居6壺 10号住居1壺は結節縄文になっている。吉ヶ谷式の影響が濃厚な段階の鏑川上中流域では単純な単節縄文が多い。似たような例を探すと結節縄文ではないが、古立中村遺跡30号住居6壺、八木連荒畑遺跡4号住居1壺(付加条縄文)があったが決して多くはない。外来的と言っていいと思うが、これらの要素が吉ヶ谷式の一部として入って来たのか、別の系統から入って来たのか気になるところだ。 高坏等類型毎集計 高坏は残念ながら完形の物がない。杯部または脚部どちらかのみではあるが全体的に眺めると、杯部は樽式の深型から浅く広がる形態への、脚部は樽式の長大な脚部からハの字に広がるものへの過渡期を示しているように思える。その中で興味深いのが口縁部折り返し?輪積み?の高坏である。報告書では甕とされているが、おぢさんには吉ヶ谷系の高坏の杯部に見えるので高坏とした。 5号住居2高坏 器台は1点のみ。たまたまかも知れないが、鉢が見当たらない。 21号住居11器台 住居毎の類型別集計 櫛描文の土器が明確に残っているのは5号住居のみ。これが他の家との時間差を物語るのか、個性なのかは難しいところ。報告書では4軒に大きな時間差はないと見ている。 櫛描文が消えようとする段階の家々だと思われるが、外来系と断定できるものはない。器台もまだ少ない段階ということだろう。 群馬県埋蔵文化財調査事業団 1993 『内匠上之宿遺跡』 土器の図は本報告書から採り、再構成した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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