カテゴリ:時には地域情報
人生にケジメだよ・・・と感じる時があります。70歳を越え、体力の衰えをヒシヒシと実感するからです。しかし検診や予防注射など掛かり付け内科医に出向いた時など、聴診器を当てられ、この心臓具合なら百歳まで生きても可笑しくないね・・・と、お世辞にも医者はうそぶきます。本当かいなと眉に唾して聞き流しますが、一寸嬉しい気分になりますから、人間の心なんて分かったものではありません。 そんなことで終活とか断捨離という言葉は嫌ですが、後世に残しておいても仕方が無い積年のガラクタ、整理しようと一念発起、チョコチョコ始末する機会が多くなっています。家内も同じように考えているのか、時折、思い出したように部屋にこもっては片付けをしています。 そんなある日のこと、家内が大笑いしながら紙切れを持って飛んできました。小学校時代の家庭一覧表、60年以上も経過していますから黄ばみ古ぼけています。 まず子供の氏名や生年月日、住所、本籍地、電話番号(少数)の掲載は許すことにしましょう。その上で保護者の勤務先と電話番号、役職、共働きなら両方共々に赤裸々に載っています。○○会社へ勤務、係長、部長とか、○○学校の先生とか教頭、或は、八百屋や帽子屋の経営とか、流石に無職の人はいませんでしたが・・・これで驚いてはいけません。保護者と児童との関係(実子、養子、里子など)、両親揃っているか片親なのか、片親なら死別か離婚なのかまで書いています。家庭も個人も恐ろしいほど丸裸にされていて、人権の欠片すら感じません。配布された紙切れが今でも残っている訳ですから、それを見れば当時が蘇り、「○○会社の課長だから裕福だったのか」とか、「あの人は片親だから暴力的だったのか」と、今になっても人権を無視した空想が広がることになります。 新憲法施行から5年ほど経過、まだまだ敗戦の混乱を引きずり、生きるのが精一杯だったのか新憲法の精神が浸透していません。明治の憲法とか封建的慣習からか、上から目線の御上意識が働いて作られたものと思われます。この事実を目の当たりにして、新憲法の精神が、世の中に溶け込み、受け入れられ、習慣化して行くには、長い、長い年月を経て醸成されるものと気付かされます。一方で改憲論議がかまびすしい昨今、この些細な出来事の反省から、現憲法の基本理念である基本的人権の尊重は勿論、国民主権や平和主義はしっかり守って行きたいと思った次第です。話が広がり過ぎましたね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.05.27 14:20:55
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