カテゴリ:年代物・史跡
旧細川邸があったと思われる所をフェンス沿いに巡って行くと、赤穂義士の史蹟がある。 赤穂義士が切腹をした細川邸の庭だという。 頑丈な門が閉じられていたが、隙間から中を見ることができる。 赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたのは、元禄15年(1703年)。 そして、将軍から切腹を命じられて自刃したのが、翌年2月4日で、 その間、大石内蔵助他16名が細川邸預けにされていたという。 この、旧細川邸の敷地の所有者は誰なのか・・・港区なのか、東京都なのか、 歩いただけでは分からないが、直ぐ近くには、都営住宅や公立中学校がある。 ネットで検索すると・・・・ 細川家下屋敷 → 高松宮邸 → 物納 → 区に払い下げ → 都営住宅・中学校 のようである。 中学校(高松中)の東側と南側が、手付かず状態で残っている不思議な所だ。 四十七士が眠る泉岳寺は、ここから直ぐの所にある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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