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テーマ:【日本百名山】登った山々(77)
カテゴリ:☆紀行の森
我が青春の山々 (2)
槍ヶ岳絶唱 母衣崎 健吾 山で遭難した君へ! 槍ヶ岳に登ったのは1994年、今から14年前のことだ。 その年の夏、山の友が北海道大雪山系で遭難した。遺体は現地でダビにふされ、面会したときは、白い布に包まれ、お骨になっていた。今でもその時の光景を、昨日のように覚えている。 初めて友に会ったのは、山岳サークルの「やまびこ」の隊長事務局長として第2次北海道遠征隊を編成する日だった。挨拶では私よりも年齢は上のようだったが、私よりも遙かに若く見えた。何よりも、気持ちが若かった。 コースは、本隊は旭川から大雪山最大のトレイル・トムラウシまでを縦走し、石狩岳からの縦走してくる別動隊と合流し、トムラウシ温泉に下山、その後、北海道最奥の幌尻岳に登るという壮大なものだった。 幌尻岳は川を遡行しなければ登れない。問題は水量だった。腰までの水量ならば困難を極めることになる。その年の天候では、冬の多雪と梅雨時の降水量から水量は多いことが推測された。隊員の安全確保のため、今年は中止か、との議論の最中に、友が発言を求めた。 「今年いけなければ、わたし、もう登れないかもしれない。天候を見定めて決行しましょう!」 私は応募者のうち、夏合宿初参加の人は訓練登山に参加し、体力の増強を図るべし、その上で、天候、参加者の能力を確認した後決行するとの条件をつけて同意した。 それからというもの、奥多摩縦走、日光連山縦走、丹沢縦走と続訓練登山を重ねること数度、雨天時歩行、谷川歩行を重ねて、友情と体力に確信を得て、決行した。 その成果は充分あった。大雪山からのロングトレイルも全く苦にならなかった。友は、高校時代、山岳部だったとのことで、30キロにも及ぶ食料を担ぎ、隊の先導役を努めた。 高山植物が僕たち隊員を迎えてくれた。本州では見たこともないような、全山花に覆われていた。 幕営地・ヒサゴ沼では沼を埋め尽くす高山植物に囲まれ、友は泣きながら叫んだ。 「来てよかった!来れてよかった!すごいです!すごいです!」 「君のおかげだ。君があの時強硬に決行を主張しなければ、僕は注視したかもしれない。ありがとう」 「また、来たい!何度でも来たい」 友は、笑いながら泣いていた。 その時、友の脳裏に、トムラウシに向かう渓谷がよぎったのだろう。 ≪あの渓谷を辿って、いつかまた、トムラウシに立つ!≫ 石狩岳縦走の別動隊ともトムラウシ幕営地で無事合流し、幌尻岳も完登した。 それから、数年たって、友はその時芽生えた渓谷からトムラウシへの想いを実行に移した。 たった二人で!しかも、名前も知らないようなパートナーと組んで! 友のトムラウシへの想いは知っていたが、全国の山に登っていた僕は友となかなかスケジュールが合わなかった。 遭難のその日、僕は白峰三山縦走のため、北岳の麓・広河原で幕営していた。 テントの中で食事をしていたら、誰か私の名前を呼んでいる女性の声がしたので、外に出て周りを見渡したが、僕のテントの傍には誰もいなかった。 ≪気のせいかな≫ 天気がいいのに風が強く、テントを風がはためかしていた。 山から下りてきて、友の遭難を知った。 取るものを取らず葬儀に駆けつけた。 「妻は山が大好きでした。その山で死んだのですから、本望でしょう」 と、友のご主人が、悲しみを堪えた振り絞った声で、別れの挨拶をした。 ≪時間を作ってやればよかった≫ 友は、先頭で水量が腰まである沢を遡行中、流された。雪解け水ではひとたまりもない。ザックを背負ったまま、もがく暇もなく即死だったと知らされた。 北海道の山に誘っていなければ、山登りを再会することもなかった! 僕とパーティを組んでいたら、こんなことにはならなかった!居たたまれなかった。 ヒサゴ沼で最高の笑顔の友の写真を胸ポケットに入れて、友が大好きだと言っていた槍ケ岳に向かった。稜線にでると高山植物がポツポツ咲いていた。 ≪君が好きだった花が咲いているよ!≫ 水晶岳分岐まで来たとき、疲れ果てたようなご婦人を見かけた。 「大丈夫ですか」 「疲れました」 「今日はどちらまで」 「今日は三俣蓮華山荘泊まりです。明日、主人が待つ槍ヶ岳までですが、このままでは無理かも知れません」 「私も今日はその山荘までです。これから、水晶岳を登ってきますから、もしよろしければ、ご一緒しましょう」 「助かります。お願いしますわ」 「すこしおなかに入れて休んだほうがいいと思います。では」 水晶岳を往復して戻ってくると、待っていてくれた。 「顔色がだいぶよくなっていますから、もう大丈夫でしょう。ゆっくり歩きますからついて着いてきてください」 「心強いですわ。ありがとうございます。」 鷲羽岳を越えて三俣蓮華蓮華山荘に無事到着した。 「僕はテント泊まりですから、ご安心を。」 「明日は槍ヶ岳までですが、ご一緒していただけますか。今日のようなことがあると不安で。 十分体力はあると思っていたのですが‥‥」 「いいですよ。僕でよろしければ、ご主人の待つ槍ヶ岳までご同行しますよ」 「よろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました」 次に朝早く、支度を整えていたら、ダックを背負って山小屋から出てきた。 「おはようございます。本当にすみません」 「いいですよ。僕も一人で歩くよりは、楽しいですから」 「足手まといにならなければいいんですけど」 「大丈夫です。ゆっくり歩きますから。疲れるようでしたら遠慮せず言ってください」 「お心遣い ありがとうございます」 予定した時間通りに槍ヶ岳山荘に到着した。 「着きましたよ。もう安心です。私はこれで。」 「ありがとうございました。」 幕営手続きをしていたら、戻ってきて 「主人です。お礼を言わせて下さい」 と、紹介してくれた。 「どうも、妻がお世話になったそうで、命の恩人です」 「いえ、こちらこそ、奥さんには励ましてもらいました」 「なにかお礼をしたいのですが」 「いいえ、僕はお礼を戴くほど、なにもしていません」 「それでは妻が納得しません。なにかお礼を」 「お気持ちだけで充分です。本当に僕の方が助けられたんです」 「ありがとうございました」 テントを設営してから槍の穂先に登った。 山頂に立って、ポケットから友の写真を取り出した。 ≪来てよかった!来れてよかった!≫ 友がヒサゴ沼で叫んでいた言葉が、耳元で反響した。 ≪バカ野郎!なんで山で死んだんだ!なんで‥なんで‥なんで‥‥≫ (6月7日 ブログより再録) 絶 唱 (一) 母衣崎 健吾 雪渓の 風にゆられて エゾツツジ 今年も咲けるや トムラウシの峰に 拙書『かぜにゆられて』より) 今年の夏、友が山で遭難した。あまりに突然のことで、遭難の知らせの電話を握ったまま、しばらく立ちつくしていた。 山に魅せられ、山を愛し、こころに花を咲かせて、いつも笑顔の絶えぬ人だった。 トムラウシ山は北海道の尾根、大雪山系の最奥にある。山頂には巨大な岩が累々と重なり、山麓にはお花畑が広がり、瞳のような湖沼が点在する。 その山に友と登ったのは九〇年八月の事である。雄大な山の広がり、山麓を埋め尽くす高山植物の群生は、友の山への想いを募らせるのに充分だった。 その後、友は、海外の山々をはじめ、国内の山々にも次々と足跡を印してきた。近年は、ご子息が海外青年協力隊員として活躍されている、ケニヤに聳えるアフリカ最高峰キリマンジェロに登頂することが夢なんですと、明るく語っていた。 夢を実現する前に、もう一度、山への想いを募らせてくれた山、トムラウシ山への再登を思い立ったのだろうか。雪渓のまだ残る七月、トムラウシ山に続くクワウンナイ川を遡行、横断中転倒し、雪解け水に二〇〇メートルも流され、帰らぬ人となった。 悲しみのなか、友が青春時代によく登ったと話していた北アルプスに入ったのは告別式から一〇日目のことである。 信濃大町から高瀬ダムを抜け、鳥帽子岳、野口五郎岳、水晶岳、鷲羽岳を越え、槍ケ岳の山頂に立った。強い風が谷から吹きつけ、岩肌は冷たかった。友が幾度となく立った山頂からは、友が幾度となく踏んだ山々が俯瞰できた。その山々のいたるところ、砂礫地にも、崖っぷちまでも、僅かばかりの土に根を張り、小さい葉や茎に水滴をつけ、雪にも、風にも、嵐にも耐えて、花が咲いている。友が愛した花が今日も咲いている。 君の分まで生きるよ、そうつぶやいたら、とめどもなく涙が溢れてきた。 のいちごつうしん NO,412 カット作品:赤ずきんちゃんの散・歩・道 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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私は云ったことはないのですが2人の友人を思う特別なところです。
いつかお話しますね。 (2008年01月26日 17時39分53秒) |