紫苑ゆうさん 我がこころのふるさと
11月3日に私の宝塚生活で、一番数多く一緒の舞台に立たせていただいた、紫苑ゆうさんの宝塚バウホールでのリサイタルを観に行ってきました。退団して、15年経つのに舞台での体型、容姿変わらず、スーパーマンいや…、スーパーウーマンとでも言ったら良いのでしょうか…思い出の曲が次から次と出てきて、自分の現役の頃が思い出され涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりました。どの曲も、何十回何百回となく、稽古場で、舞台で、着替えながら、袖から見ながら聴いていた曲でした。思えば星組の組子になった時から、退団まで、ずーっと同じ舞台を踏んでいたことになります。だからといってベタベタとお互いの領域に踏み込む事なく、相手が困れば助ける、をしていました。今、思うと、お互いの体調だけは, 手に取る様分かっていた気がします。人間ですから精神力にも限界があるし、 体調が良くない時だってありました。今日は、よく一日舞台にこの身体で立てたな, と思う日が何度もありました。トップスターという恐ろしい魔力以外の何者でもありませんでした。終演後は抜け殻のようになっていましたが、それでも、思いやりは忘れない人でした。 一緒にヨーロッパ旅行にも行き、ノイシュバンシュタイン城のふもとのホテルに泊まり、 朝、ホテル前の湖から白鳥が飛び立つの見て大興奮をしたのは、ついこの間のことのようです。実際は、25年前位(笑)昔のことのほうがよく覚えています。年のせいかも?アキレス腱を切った時の事は、昨日のことのように鮮明です。劇団近くの整形外科に行き、私が連絡のため、赤い公衆電話を持ち上げたのを見て、痛いのを忘れ、2人で大笑いをしたこと。火事場のバカ力とは、あの事です。あの頃、携帯は持っていませんでした。その後、神戸の病院に着くまで気が遠くなるほど長く感じ、何と道路とは、でこぼこ道なのかと思ったか!その間、私の手のひらの上のアキレス腱が何度繋がったらいいのにと思ったか…車中2人で何もしゃべらなかったことは忘れません。入院中、皇太子の御成婚の日、たまたまお見舞いに行き、うたかたのダンスの曲がバックに流れて、二人でこれまた無言でテレビを見たこと、17年前…思い出はキリがない。そしてリサイタルを観に集まった現役時代の仲間たち。なんて素晴らしい仲間たちだったのであろう…みんなお互い生活は違えど、集まるとその頃にタイムスリップする。リサイタルの最後に、「宝塚我が心のふるさと」をアカペラでシメさんが歌うのですが、自分の中から湧き上がる想いと同じ、と心の底から感じました。今回、リサイタルを観て欲しいと連絡を頂きました。私が退団し、二回ほどしか会っていないし、10年は話をしていなかったのですが、会っていない期間、お互いを心配する気持ちは一緒でした。バウホールでは、空間まで全て、宝塚を愛する紫苑ゆう、に染め上げていました。ただ一人の共演者ウルさんも絶賛です。「我が心のふるさと」での素晴らしい時間を感謝します。「我が心のふるさと」があるから、今を生きられるのかもしれません。また、みんな自分の生活に戻っています。わたしも童謡コンサートやお話をしながら、これからのお子さんの元気のため、微力ながら、努力していきたいと改めて思いました。お星さまの贈りものwww.ohoshisama.info鞠村奈緒