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カテゴリ:源氏物語
かつて伊予の介と呼んでいた者は、故・桐壺院が御隠れあそばされた翌年に 源氏の君が須磨に退去なさったことをはるか常陸で耳にして、 「筑波根の山を吹きこす風」に便りを託すのも不安で、 源氏の君が帰京なさった翌年に、常陸の介は任を終えて上京しました。 一行が逢坂の関を通るちょうどその日、 都からお迎えの人々の中には常陸の介の子・紀伊の守もいて、 「殿が御参詣なさいます」 と知らせましたので、 『道の途中で出会ったら、さぞかし混雑するだろう』 と気遣い、夜明け前に出立したのですが、女車が多く 一行が打出の浜にさしかかると、「源氏の殿は、粟田山を越えなさいました」と言って、 牛から車をはずし、あちらこちらの杉の木の下に隠して、 常陸の介一行の車は、一部は遅らせ、あるいは先に立てなどしたのですが、 車は十ばかりあって、女たちの衣の袖口や襲の色合いなども それが田舎びていず趣味が良いので、 源氏の君に付き従ってきた大勢の前駆の者たちもみな、この女車に目を留めるのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
March 5, 2017 09:54:09 PM
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