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私訳・源氏物語

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December 16, 2012
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カテゴリ:源氏物語つれづれ

乙女の巻は、何故かとても長く感じた。

始めたのが10月11日だから、二カ月以上かかったことになる。

内容は豊富で、朝顔の斎院の頑固な性格に始まり、夕霧と雲井の雁の恋物語、
大宮と息子・内大臣とのやりとり、源氏の教育論、惟光の娘と夕霧とのちょっとした恋、
継母・花散里に対する夕霧の客観的で鋭い観察眼、
六条院での梅壺中宮と紫の上の春秋論などなど盛りだくさんで、
どれもなかなか興味深いが、大宮と内大臣の親子喧嘩が世俗的で面白かった。

乙女 -16-  http://plaza.rakuten.co.jp/ototachibana/diary/201210280000/ 

乙女 -17- http://plaza.rakuten.co.jp/ototachibana/diary/201211020000/

乙女 -18- http://plaza.rakuten.co.jp/ototachibana/diary/201211040000/ 

乙女 -19- http://plaza.rakuten.co.jp/ototachibana/diary/201211070000/

乙女 -22- http://plaza.rakuten.co.jp/ototachibana/diary/201211100000/

乙女 -23- http://plaza.rakuten.co.jp/ototachibana/diary/201211110000/

 大宮という女性は家族愛が強いだけでなく、
人の気持ちを理解する情の深さと暖かさがあって好ましい。

息子といえども会うときには身だしなみを調えるところには、
高貴な身分の品位ある女性としてのたしなみを感じさせる。

朝顔の巻では、

「宮 対面し給ひて 御物語きこえ給ふ。 
いと古めきたる御けはひ、しはぶきがちにおはす。
このかみにおはすれど、故大殿の宮は あらまほしく、古りがたき御有様なるを、
もてはなれ、声ふつゝかに、こちごちしくおぼえ給へるも、さるかたなり」

(女五の宮が源氏の大臣に対面なさって、昔のおん物語をなさるのですが、
まことに年老いたご様子で、咳こみがちでいらっしゃいます。
源氏の大臣の姑・大宮は、女五の宮の姉宮なのですが、
たいそう若々しい感じでいらっしゃるのに五の宮は姉・大宮に似たところがなく、
声は太くお身体もごつごつした感じのおん方でいらっしゃいます)

と、ガラガラ声で骨太の女五の宮と対比することで、若々しく女らしい大宮が浮き立つ。

 また、興味深いのは夕霧の視点から花散里と比べた箇所だ。
すこし長文になるが、原文を引用する。

「かたちの まほならずもおはしけるかな。
『かかる人をも、人は思ひ捨て給はざりけりな』と、
わが、あながちに つらき人の御かたちを心にかけて『恋し』と思ふも あじきなしや、
心ばへの かやうに やはらかならん人をこそ、あひ思はめ」と思ふ。
又、「むかひて見るかひなからんも、いとほしげなり、かくて 年経にけれど、
殿の 今に さやうなる御かたち・御心と見給うて、浜木綿ばかりのへだて、
さしかくしつゝ なにくれと もてなしまぎらはし給ふめるも むべなりけり」

と思ふ心のうちぞ、恥づかしかりける。

 大宮のかたち 異におはしませど、まだ いと清らにおはしまし、こゝにもかしこにも「人は、かたちよきもの」とのみ目慣れ給へるを、もとよりすぐれざりける御かたちの、やゝさだ過ぎたる心地して、やせやせに 御髪ずくなゝるなどが、かく そしらはしきなりけり」

乙女 -33- http://plaza.rakuten.co.jp/ototachibana/diary/201211290000 

顔立ちの美醜に係わらず、女性が小奇麗に年を取るのは、案外難しい。
化粧や服装で若くみせようとすると、反って醜悪になる。

身だしなみ、しぐさ、立ち居振る舞いに「品位」を感じさせるこの大宮という女性は、
きっと素敵なおばあさまだったに違いない。

ところで、秋の好きな梅壺女御(六条御息所の娘で、斎宮女御と聞こえし御方)が、
春の好きな紫の上に対してお歌を贈る場面がある。

心から 春待つ園はわが宿の 紅葉を風の つてにだに見よ

「春のお好きなあなたさまは、春の到来を心待ちにしていらっしゃるでしょうね。
でも、私のお庭の、秋の風情のすばらしさをご覧くださいませ」

という内容なのだが、そこには「春なんか、比べ物になりませんわよ」
という気持ちが込められているので、
源氏が「この紅葉の御消息、いとねたげなめり
(この文面には小癪なものを感じますね)」と言うわけだ。

紫の上もなかなかで「風に散る 紅葉は軽し」というお歌に
「えならぬ作りごと(物)」を添えて返して、負けてはいない。

この春秋論から、梅壺中宮は秋好中宮とも言われるようになったらしい。

他には惟光の娘が夕霧の恋文に「『をかし』と見けり」というところが、
「素直でいいな」と感じた。

不自然に思ったのは、
夕霧と雲井の雁の恋に「源氏のコメントがないのは何故だろう」という事だろうか。






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最終更新日  August 20, 2017 03:03:47 PM
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