カテゴリ:文楽
2024年5月19日(日)
仲良しのブロ友さんのmamatamさんから、思いもかけないお誘いを受けたのはちょうど1か月前。 5月の文楽公演のチケットを購入されたmamatamさんでしたが、なんとその公演日に遠方の親戚の方が上京されることとなり、公演に行かれなくなってしまったんですって。 で、その昔文楽鑑賞を一緒にしていた私にチケットをプレゼントしてくださったんです。 以前は、皇居のお堀側にある「国立劇場」に通っておりました。 ところが老朽化で建て替えということになり、文楽公演はあちらこちらの劇場をお借りしての公演となってしまいました。 5月文楽公演は、北千住駅直結のシアター1010(足立区文化芸術劇場)にて。 4時間半以上の長丁場の公演になりますので、コンビニでサンドイッチとカフェオレを購入し、会場へ。 チケットは技芸員さんを通じての購入なので、入り口で技芸員さんの名前を伝えて受け取ることができます。 文楽の技芸員さんとは、大夫(義太夫)・三味線・人形遣いの方々。 その人形遣いで人間国宝でいらっしゃる「二代目 吉田玉男」さんのお手配です。 今回の席、5列15番というとんでもないいい席!!! 舞台も近いし、大夫さんや三味線方の座る「床」もすぐそば。 11時、公演が始まりました。 「ひらがな盛衰記」とは、「源平盛衰記」をわかりやすくしたというほどの意味。 たくさんの段がありますが、今回の公演は義経に討伐された木曽義仲の四天王の一人「樋口次郎兼光」を中心に描かれます。 ところで、木曽義仲の四天王の一人が、今井四郎兼平。 きっちり大夫さんの語りの中にも、兼平の名は出てきました。 で、ここからは話は横道にそれます。 私は、その今井四郎兼平の子孫の方とかなり深いご縁があるのです。 中学3年生の時、勉強に身が入らない娘を案じて、母が私に家庭教師をつけてくれました。 我が家は貧しくてようようのその日暮らしでしたのに、何を血迷ったのか母が急に教育に目覚めて・・・。 で、岐阜大学の学生が私の家庭教師となりました。 その学生、かなり頭脳明晰な男子で、どうもちゃらんぽらんの私とは相性が良くない。 反発ばかりしていたらなんとその学生、友人と教え子のバーターという離れ業をしたのです。 友人の教えていた中学生を自分が教え、私はその友人にゆだねたということです。 で、私の前に現れた岐阜大学の学生はなんとも愉快な男子で、学生バンドをしているような当時としてはユニークな人。 それが、今井四郎兼平の子孫だったんです。 で、当然姓は「今井」。 でも「今井先生」と呼んだのは初めのころだけ。 彼のあだ名が「ムーチョ」だと知って、すぐに「ムーチョ先生」って呼ぶようになりました。 なぜ彼が友人たちから「ムーチョ」と呼ばれていたか? それは軽音楽のバンドサークルを率いていて、彼はドラム担当。 そして得意の曲が「ベサメムーチョ」 で、友人たちをはじめ知人たちは彼のことを、親しみを込めて「ムーチョ」って呼んだというわけ。 ご先祖が武士だなんて到底信じられないような、まじめなチャラ男でした。 実に楽しい先生で、私を妹のように引き回してくれて、岐阜大学の学祭やバンドの演奏会にはいつも呼んでくれました。 彼のおかげで、長良川近くの県立高校に無事入学。 なんとそこは岐阜大学と敷地続き。 その当時は柵もなかったので、昼休みには大学のムーチョさんの教室に遊びに行ったりできたのよ。 で、高校生2年生になって選挙で選ばれてしまって生徒会活動。 とその時、生徒会役員の1年生の女子が、私にすごいなついてきて仲良くなりました。 である日、その子と一緒に柳ケ瀬のアーケード街を歩いていたら、ばったりムーチョさんに会ってしまって。 ムーチョさん目を白黒させて、「どうしてお前たちが並んで歩いているのか!!」って叫びました。 なんとムーチョ先生、私を高校に入学させた後に家庭教師となったのが後輩女子だったんです。 なんという偶然!!!!! という、エピソードがありまして私の高校生活はそれは楽しかったんです。 で、この次からは真面目に文楽のことを書きますので、今回はお許しください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[文楽] カテゴリの最新記事
|
|