愚痴るのは難しい
今日、TVの日本のインバウンド特集で、外国では宗教で寄付をすることはあるが、日本のお賽銭のように、個々がお金を入れるようなことはなくて、それがとても良いと思う。というような話が出たのだけど・・・良く考えたら、たった5円でお願いするなんて、日本人ってほんと、調子がいいよね。と言ったらば、夫が、「神様は、お願いをかなえてくれるわけではなく、お願いを聴いてくれるだけだから」という。なるほどねー?ま、いろんな説がある事でしょうけども。んっ、それなら、会社の愚痴をお賽銭入れて聞いていただけるのかな!?家族や友人に迷惑かけて聞いてもらうより、いいかもーーーって一瞬思ったんだけども。いやいや、現実できないわなー。神様に失礼で。それと同じくらい、愚痴を人に聞いてもらう事も、失礼な事なんだよねー。わかっちゃいる。わかっちゃいるし、愚痴った後って、余計気持ちが重くなるのよね。聴いてもらって、悪かったなって。もっと楽しい話したほうが良いって、わかってるもん。じゃあじゃあ、一体どうしたら良いのだろう。うーーーーん・・・私は動画を観るのが、面倒で、あんまり見ない。数秒、数分、本当に見たいとこ以外の、挨拶や前振りを長々見てるうちに、「もういいや」って、消してしまう。でも、pinterestとかの画像だと、延々と見ちゃうのよね。最近見るの、人生の格言みたいの多いなあって気が付いた。自分には、こういう格言が大切だわ、とどんどん保存するんだけども、見返すことは無い (;^_^Aでも、今日は見直してみた。人が自分のために使ってくれた時間は、その人の命であることを忘れてはいけない落ち込みやすい人は自分について考えてる時間が長い大切な人や推しを考えれば落ち込みにくくなる何が私を苦しめているのか自分が握りしめているその物差しです意志が濁れば 意地になり口が濁れば 愚痴になり得が濁れば 毒になるうまく行っていない人ほど他人を批判するほんとうにやさしい人は「正論」よりも「寄り添い」で接してくれる人上手く行った時に褒めてくれる人はたくさんいますが上手くいかない時に支えてくれる人はめったにいませんもしいたら誰よりも大切にしてください問題は他人事のように考えるとちょうどいいどうでもいいことを気軽に話せる人こそが実はどうでもよくない人