「鬼の筆」 春日太一
脚本家、橋本忍の評伝。40年以上前の大学生時代に映画に熱中したことがある。地方の大学なので鑑賞する環境はあまり良くなかったが、名画鑑賞会のようなものもあり、年によっては100本ぐらい観たこともある。黒澤明の「羅生門」「七人の侍」「生きる」や「砂の器」はリバイバル上映で観た。封切りで観た作品はないものの脚本家、橋本忍の名前は強く印象にあった。そんな時期(1982年)、橋本忍脚本、監督の「幻の湖」という作品の予告編が映画館で流れた。今風に言えばレジェンドである橋本忍が脚本だけでなく監督も担当する作品ということでいやが上にも期待は高まった。ただ予告編を観ても、どんな内容なのかさっぱりわからないものではあった。結局、「幻の湖」が地方の映画館で上映されることはなく、酷評だけが聞こえてきた。その後、橋本忍の名前が話題になることはなかった。2018年、100歳まで生きられたのに、である。本書を読むと、橋本忍を生んだ環境や仕事ぶりが見えてくる。そしてなぜ「幻の湖」が失敗したのかもわかる。「幻の湖」は、人の才能には偏りがあり、批判、否定する人がいるという緊張関係がなければプロジェクトはとんでもない失敗をする危険があることを示している。「砂の器」については共同脚本で関わった山田洋次が書いているものをずいぶん前に読んだことがあるが、本書で書かれていること(山田洋次がインタビューに応えている)と若干違うニュアンスだったと記憶している。他の作品についても関わった人たちの証言が食い違ったりしているが、著者は公平なジャッジをするように心がけていて好感が持てる。人の記憶には何らかの(自分に都合のいい方向が多いだろう)バイアスがかかるものであるし、単なる記憶違いもあるだろう。実はその食い違いが興味深い。