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カテゴリ:旅行 岡山県
岡山 岡山城に行く前に岡山市立オリエント美術館
に寄ってみました、学校法人岡山学園の元理事長 安原真二郎氏からオリエントの考古美術品1947点 の寄贈を受けて建設された、紀元前3000年前の 今のイランやイラクなどの出土品を時代別に展示 されています。撮影不可、入場料310円 ![]() 建物自体もオリエント風 ![]() 隣にあった岡山県立美術館、入場350円 岡山にゆかりのある美術作品を展示 撮影不可、入場者より各部屋に配置されている 学芸員の方がはるかに多い。黙って立っている だけなら無人で防犯装置を付けた方が良い。 国立や県立の施設にありがちな無駄の象徴 無料のボランティアガイドさんなどを充実 させてほしい。 ![]() 岡山神社はかつて岡山城本丸の地に 鎮座していたが、1573年宇喜多直家が 岡山城築城地に現在の場所に移転、岡山城 の守護神として歴代城主の崇拝を受けた。 この日は「わくぐりまつり」開催中 ![]() ![]() 後楽園、旭川のほとりに鎮座する拝殿 ![]() 旭川の先に見える岡山城、向いは後楽園 ![]() 1597年豊臣5大老の一人・宇喜多秀家が築城 黒い下見坂張りの外観から別名「烏城うじょう」 とよばれる。現在の天守閣は昭和41年に再建さ れました。 ![]() 廊下門 門の上が渡り廊下になっている(再建) ![]() ![]() ![]() 1597年築城時の石垣 宇喜多秀家築城 ![]() 天守閣に入る最後の門「不明門」 ![]() ![]() 天守閣を支えた礎石を移築 ![]() ![]() 正面から見た岡山城、入場料320円 鉄筋コンクリート造り、中はエレベータで 上に上がれます ![]() 天守最上部から見た景色、鯱 ![]() 天守閣から見た後楽園 ![]() 宇喜多秀家は秀吉政権下で父の領土を引き継ぎ 57万石の大名となり8年の歳月をかけて1597年 に築城する。豊臣秀吉の寵愛を受け名前に秀の字 をもらい、さらに秀吉の養女豪姫を正室とした。 ![]() 秀吉の朝鮮出兵にも参加 ![]() 関ケ原の戦いでは西軍主力として参加したが 小早川秀秋の裏切りで西軍は総崩れになり 宇喜多隊は壊滅した。 ![]() 奇跡的に逃げた秀家は鹿児島の島津家に 匿われるが家康の耳に入り1603年に家康 に引き渡される。1606年公式史上初の流人 として八丈島へ文字通り島流しにされた。 ![]() 八丈島では苗字を浮田、号を久福と改め50年 を過ごした、高貴な身分も相成って他の流人 よりも厚遇されていたともいわれています。 1655年死去享年84歳 ![]() 関ケ原の戦いで西軍を裏切った小早川秀秋は 宇喜多秀家あとの岡山城主となるが1602年 21歳で急死する(詳細は不明)アルコール依存症 による急性内蔵疾患が最有力。 ![]() ![]() ![]() 小早川秀秋の後に入城したのは姫路藩主の 池田輝政の子忠嗣が備前岡山藩主となる。 これ以降池田家が明治時代に入るまで続く 6代藩主綱政の時に後楽園が造られた。 ![]() 今でも池田家は岡山の名家 世が世ならお殿様だった人が今も健在 ![]() 下から見ると最下段は5角形になっている ![]() 月見櫓 戦火を逃れた現存する貴重な櫓 ![]() ![]() ![]() 豊臣秀吉に寵愛された宇喜多秀家、豊臣秀吉の 実子が生まれるまで跡取りとされていた小早川秀秋 の2人が岡山城でつながっています。 温故知新 歴史を知り今に活かしたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.09 06:20:03
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