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2020.08.16
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カテゴリ:旅行 岡山県
岡山 岡山城に行く前に岡山市立オリエント美術館

に寄ってみました、学校法人岡山学園の元理事長

安原真二郎氏からオリエントの考古美術品1947点

の寄贈を受けて建設された、紀元前3000年前の

今のイランやイラクなどの出土品を時代別に展示

されています。撮影不可、入場料310円




建物自体もオリエント風



隣にあった岡山県立美術館、入場350円

岡山にゆかりのある美術作品を展示

撮影不可、入場者より各部屋に配置されている

学芸員の方がはるかに多い。黙って立っている

だけなら無人で防犯装置を付けた方が良い。

国立や県立の施設にありがちな無駄の象徴

無料のボランティアガイドさんなどを充実

させてほしい。




岡山神社はかつて岡山城本丸の地に

鎮座していたが、1573年宇喜多直家が

岡山城築城地に現在の場所に移転、岡山城

の守護神として歴代城主の崇拝を受けた。

この日は「わくぐりまつり」開催中






後楽園、旭川のほとりに鎮座する拝殿



旭川の先に見える岡山城、向いは後楽園



1597年豊臣5大老の一人・宇喜多秀家が築城

黒い下見坂張りの外観から別名「烏城うじょう」

とよばれる。現在の天守閣は昭和41年に再建さ

れました。



廊下門

門の上が渡り廊下になっている(再建)









1597年築城時の石垣

宇喜多秀家築城



天守閣に入る最後の門「不明門」





天守閣を支えた礎石を移築





正面から見た岡山城、入場料320円

鉄筋コンクリート造り、中はエレベータで

上に上がれます



天守最上部から見た景色、鯱



天守閣から見た後楽園



宇喜多秀家は秀吉政権下で父の領土を引き継ぎ

57万石の大名となり8年の歳月をかけて1597年

に築城する。豊臣秀吉の寵愛を受け名前に秀の字

をもらい、さらに秀吉の養女豪姫を正室とした。




秀吉の朝鮮出兵にも参加



関ケ原の戦いでは西軍主力として参加したが

小早川秀秋の裏切りで西軍は総崩れになり

宇喜多隊は壊滅した。



奇跡的に逃げた秀家は鹿児島の島津家に

匿われるが家康の耳に入り1603年に家康

に引き渡される。1606年公式史上初の流人

として八丈島へ文字通り島流しにされた。




八丈島では苗字を浮田、号を久福と改め50年

を過ごした、高貴な身分も相成って他の流人

よりも厚遇されていたともいわれています。

1655年死去享年84歳



関ケ原の戦いで西軍を裏切った小早川秀秋は

宇喜多秀家あとの岡山城主となるが1602年

21歳で急死する(詳細は不明)アルコール依存症

による急性内蔵疾患が最有力。











小早川秀秋の後に入城したのは姫路藩主の

池田輝政の子忠嗣が備前岡山藩主となる。

これ以降池田家が明治時代に入るまで続く

6代藩主綱政の時に後楽園が造られた。




今でも池田家は岡山の名家

世が世ならお殿様だった人が今も健在



下から見ると最下段は5角形になっている



月見櫓

戦火を逃れた現存する貴重な櫓









豊臣秀吉に寵愛された宇喜多秀家、豊臣秀吉の

実子が生まれるまで跡取りとされていた小早川秀秋

の2人が岡山城でつながっています。

温故知新

歴史を知り今に活かしたいです。





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最終更新日  2024.06.09 06:20:03
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