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広島 毛利輝元 広島城
毛利氏は南北朝時代から広島県安芸高田市にある 郡山城を居城とする一領主でしたが、有名な元就 の時代に中国地方の大半を支配する戦国大名に成長 孫の毛利輝元の時代1590年に現在の広島市の中心 太田川の河口三角州に築城しました。 ①郡山城(安芸高田市)は山城でしたが大坂城など を見学して平野に城を城築 ②中国地方の中心が安芸の国、その中心が今の広島 広島城(白島方面より) ![]() 毛利氏の郡山城跡(広島安芸高田市) ![]() 毛利氏郡山城の模型 典型的な戦国時代の山城 ![]() その後1600年の関ケ原の戦いでは輝元は西軍の総大将 とし敗北、周防と長門に減封となった。 萩にある毛利氏の萩城跡 山の反対側は海、毛利輝元築城 ![]() 城下町の古地図 左上側が萩城、その周りの白い枠が 二之丸、三の丸の武家屋敷 ![]() 輝元に代わり2代目城主に福島正則が安芸と備後を治めた 3代目は和歌山から浅野長晟が1619年に入城以後明治の 版籍奉還までの250年間浅野氏が12代にわたり広島城主 を務めました。浅野42万石 ![]() 明治以降は旧陸軍の施設が徐々に作られ建造物は 次第になくなっていきました。 昭和20年8月6日に広島に原子爆弾が投下され城内 の建造物は全て破壊されました。 ![]() 大本営跡土台の石だけが残っています。 本丸のど真ん中にありました。 ![]() 被ばく前の大本営 ![]() 現在の広島城は昭和33年に復元されました 鉄筋コンクリート造り、中は歴史博物館に なっています。 ![]() ![]() 爆心地から980mの位置で原爆にあったが 崩れ落ちたが炎上はしなかった。 修復に必要な瓦礫も燃料代わりに持ち去られた ![]() ![]() ![]() 広島城の周りには被ばくした木が75年たった 今も数本残っています。 ![]() 天守閣から見た広島市北方面 ![]() 天守閣から見た広島市内南方面 中心の高いビルはリーガロイヤルホテル広島 ![]() いつも城の前は通っていましたが今回初めて 本丸、天守閣まで入りました、毛利氏の歴史や 戦争の大本営跡など重要な資料がたくさん点在 しておりおすすめですが駐車場がないので不便 せっかくのお堀なども観光に活かされず残念。 でも少し歴史を知ることができました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.09 06:25:13
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