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2021.06.16
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カテゴリ:旅行 山口県
萩 城下町

萩城北の総門

城と城下町の境界線跡地
門の外側は外堀が巡っています



萩城下町
菊屋横丁は白壁となまこ壁が今も残る江戸時代の
町割りが見れます、この辺りは下級武士や豪商の
屋敷が立ち並んだ地域。




明治維新の三傑と言われた木戸孝允旧宅

木戸孝允は1833年にこの家で生まれ江戸にでるまでの
20年間をここで過ごしました。




17歳の時には明倫館で吉田松陰にも教わっています
30歳ごろから藩の要職に就き国事に奔走しました。
1866年には坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結びます
明治新政府では五箇条の御誓文の確定に参画し
版籍奉還や廃藩置県の実現に力をつくしました。



西郷隆盛・大久保利通と木戸孝允は明治維新の三傑と
言われ活躍しましたが、やがて後輩の伊藤博文の力が
大きくなり政府の中枢から離れていきます
1877年45歳京都で病死

木戸孝允が11歳の時の書


萩市上空から見た木戸家
城の外堀に近いエリアなので下級武士の中でも
上の身分であった。



青木周弼(アオキシュウスケ)旧宅

周防大島の医者の家に生まれ、江戸でオランダ医学を学ぶ
長崎で遊学中、長崎での評判を聞きつけた藩主毛利敬親に
よって召し抱えられ、医学館の教官に任命、医学教育に尽力



青木研蔵

青木周弼の実弟で周弼の後を継ぐ
藩の名により長崎で医学を学び(シーボルトにも学ぶ)
最新の医学を萩に伝えた。天然痘の予防するとこも成功
毛利敬親の側医と務め明治2年には明治天皇の大典医に
任命された。



青木周蔵

明倫館で才能を見出され研蔵の養子となる
長崎で医学を学び、その後ドイツに留学し政治・経済を学ぶ
最初の駐独公使となる、後に外務大臣も務める




夫人はドイツ人、当時で珍しい国際結婚



高杉晋作の誕生地

吉田松陰の門下生
幕末に尊王攘夷志士として活躍
奇兵隊を創設し長州藩を倒幕に方向つけた人物



ここからは外堀の内側
上級武士のエリア
白壁は長いもので200メートルもある



景観保護の為石垣や白壁は残したまま
2階建て以上の建物もない、昔もままの街並み



上級武士家屋の中にある「天樹院」

毛利輝元の墓所



毛利輝元の孫で毛利家14代直系当主
豊臣政権の5大老の一人で関ケ原の戦いでは
西軍の総大将となって戦った。



関ケ原の戦いで負けた輝元は周防と長門の2か国に減封され
輝元が隠居する事で毛利家がかろうじて存続できる事となる



1625年4月27日萩で死去享年73歳



毛利家の墓所で良く見かけるかまぼこ型の石



輝元の墓碑
毛利の家紋



萩城跡
後ろの山が指月山




明治時代の萩城
輝元は築城した広島城に匹敵する規模



この日の宿
リゾートホテル美萩さん



日本海が一望できるレストラン




朝食も豪華
あんこう鍋やふぐなど




ホテル前は萩城のある指月山や菊が浜が広がります







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最終更新日  2024.05.04 06:32:08
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