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2022.05.31
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カテゴリ:旅行 北海道
北海道旅行 サッポロビール園・ビール博物館


広島空港から札幌に向かいます
国際線は未だ欠航中


国際線カウンターは改修と物置と化してます

6月からは海外からの団体旅行者受け入れが
始まりますが、国内では5空港のみ受け入れ
なので広島空港の国際線の利用は当分先に
なりそうです。



国内線で広島から札幌まで約2時間
あっという間に到着



新千歳空港から札幌まで電車で向かいます



約20分で到着



サッポロビール園に到着
札幌駅からバス15分

サッポロビールが生まれたこの地で現在は
ビールとジンギスカンの楽しめる各種飲食店
とビールミュージアムが併設されています




巨大ホールでジンギスカンをいただきます
中央にはビールの仕込み釜(ケッセル)が鎮座
(大正時代に使用していた物)



食べ放題メニューがお得



もちろん各種ビールの飲み放題も



薄切ラム肉
あっさり柔らかで旨み凝縮
これならたくさん食べれます



冷凍ラム肉スライス(トラディショナル)
北海道民が昔から食べていたそうです



ジンギスカンといえばこの鍋



食べ放題には最初に鶏肉と豚肉も強制的に
出ます、これでお腹が大分膨れます

ラム肉は脂っぽくなくあっさり旨い
普通の焼肉と違い排煙装置がないので
衣服に臭いが移りますがこれも含めての
ジンギスカン



北海道でしか飲めないビール
「サッポロクラシックビール」
国産ビールの中では断トツに旨いビール
なぜか北海道でしか販売されていない
幻のビール
これを飲む為だけに北海道を訪れる人も多い


食後はサッポロビールのお勉強
サッポロビール博物館


1876年(明治9年)開拓使麦酒醸造所が開業
明治政府開拓使長官 黒田清隆(薩摩)が開拓事業
の一つとして同じく薩摩出身の村橋久成を責任者と
してこの地で誕生した。

黒田清隆(1840年~1900年)
薩摩藩の下級武士出身、西郷隆盛の部下として薩長同盟
にも奔走する、明治政府では戊辰戦争最後の地である
函館戦争で新政府軍の参謀として勝利に導く。
明治政府では北海道開拓長官その後は内閣総理大臣など
要職を歴任する。




村橋久成(1842年~1892年)
薩摩藩中級武士出身、戊辰戦争では黒田清隆の部下として
函館戦争に参加、黒田の命を受け五稜郭の旧幕府軍のトップ
であった榎本武揚に降伏交渉を行う。(その後降伏)
その後北海道開拓使として麦酒醸造所建設の責任者となる


村橋久成は鎖国時代に薩摩藩から19人の若者が
密かに海外(イギリスなど)留学した一人であった
五代友厚、森有礼、寺島宗則と同時に留学している

現在新鹿児島駅前にある19人の銅像(訪問時撮影)


薩摩藩、長州藩は同じ様に幕末に藩の若者を海外留学
させている、伊藤博文も長州ファイブ(5人留学)の
一人であった。


中川清兵衛(1848年~1916年)
新潟県長岡に生まれる、藩の御用商人の長男
1865年にイギリスに密航、その後ドイツに移り
そこで長州の青木周蔵に出会い青木の支援により
ビール醸造会社で技術を学んだ。
1875年に日本へ帰国
開拓使麦酒醸造所の技術責任者として貢献する



ドイツでは2年2か月の修業で醸造技術を習得



中川清兵衛をドイツで支援した
青木周蔵(1844年~1914年)
長州藩の村医の長男
22歳の時に毛利敬親(最後の殿様)の専属医であった
青木周弼の弟青木研蔵の養子となる、萩の明倫館で
学んだあとドイツに留学し医学から経済学まで幅広く専攻する。
帰国後は外務次官、外務大臣を歴任する



萩の青木邸は今も残り公開されている(萩訪問時撮影)


青木周蔵はこの時代に珍しく離婚(日本人)し
ドイツ人貴族のエリザベートと再婚する
当時離婚も国際結婚も大きな話題になったのでないか?



1876年開拓使麦酒醸造所が開業




1882年開拓使廃止に伴い農商務省の所管となる
1886年北海道庁の所管となる

当時のビール瓶


赤い星は五稜星と言い
開拓使のシンボルマークであった



開拓使から始まる麦酒醸造所は1886年北海道庁から
大倉喜八郎の大倉組商会に払い下げられます。
この払い下げは格安だった為中央政界でも異論が
続出し政界再編につながった



翌年の1887年に札幌麦酒会社が設立されます。
日本経済の父といわれた渋沢栄一
浅野セメントなど浅野財閥創始者の浅野総一郎など



渋沢栄一の自筆契約書
アサヒビールの創始者である鳥井駒吉のサインも



この時代政商と言われる実業家が大きな財閥を築くほど
成長します、キリンビールの三菱は土佐の岩崎弥太郎は
海運業や石炭など利権を政府より格安で買い取り財閥を
築いた。薩摩藩、長州藩から中央政府の要職についた人
たちとそれを取り巻く豪商たちによって経済が造られて
たが、今の時代であれば収賄、贈収賄で全員逮捕で毎日
TVのワイドショーを賑わしていでしょう。

少し勉強したところで最後はサッポロクラシックビール
で歴史を感じながら飲みました。






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最終更新日  2022.05.31 00:10:07
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