哲学の学習、マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判』(その6)
哲学の学習6、マルクス『ヘーゲル法哲学の批判』マルクスの24‐5歳、青春時代の疾風怒濤の時代、世界観を確立していくころを探っています。ヘーゲルの『法の哲学』(1821年)の国家論部分を批判している論文です。対象となる原本、そしてその批判ともに、なかなか容易に理解させてはくれないんですが。8月28日(金)午後5時、安倍首相が記者会見して、コロナ対応に次いで退陣表明がありました。安倍氏は、2011年東日本大震災後に、自らの意志-2015年安保法制強行、辺野古の新基地押しつけ、兵器の爆買い、モリ・カケ問題のごまかし、核兵器廃絶条約の拒否、憲法「改正」など、国会議員の多数の力をもってやりたい放題に押しすすめてきたんですが。この2月来のコロナ感染の防止対策では、そんな勝手な屁理屈は通用しなかった。ここでは、彼の特殊な考え方をトップダウンで押しつける方式などは通用せず、状況把握も正確な即時対応もしきれなくて、ヘトヘトになったんですね。いま、国民の状況、切実な要求に答えれる政治が求められています。さて、本題のマルクスの『ヘーゲル法哲学批判』ですが。どうして、マルクスにとって、ヘーゲルの『法哲学』、その国家論部分の検討が必要になったのか?この問題ですが。一、当時の1842年頃のマルクスの置かれた状況ですが。当時のドイツ、プロイセンは政治が反動化して、マルクスが編集長をしていた『ライン新聞』を検閲強化から禁止措置をとったんですね。マルクスはフランスへ「亡命」せざるを得なかった。マルクスは国家の問題に直面したんですね。それは戦前の日本の言論抑圧からしてそうした事態を想像できるかと思います。ないし今の香港の事態をみれば推察できるかと思います。二、ではなぜ、どうしてヘーゲル『法哲学』の批判で検討が必要だったのか。ヘーゲル『法の哲学』の序論には「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である」の有名な命題があります。それは今あるものすべてを合理化するものではなくて、「現実性は、その展開の過程で、必然性であることをしめしだす。」(『小論理学』第143節補遺)ここには「学者ぶった曖昧なことばのうらに、重苦しい退屈な文章のうちに革命がかくれている」と、エンゲルスは『フォイエルバッハ論』で指摘しています。弁証法が含まれていた。ヘーゲルの国家論の中には合理的な分析が含まれていて、その講義は大勢の人をあつめたし、ヘーゲル自身、ベルリン国立大学の総長まで勤めているわけです。三、そのヘーゲルの学説というのは、玉石混交だったんですね。同じヘーゲルの国家論ですが、「国家とは、個人が共同の世界を知り、信じ、意思するかぎりで、自由を所有し享受するような現実の場です」とか、「国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家を通してしかあたえられないからである」(『歴史哲学講義』岩波文庫 上 P72-73)などとも言っています。これがヘーゲルの勝手な独断的見解ではなくて、ヘーゲルの考え方(概念の弁証法)から導き出されてかきた見解なんですね。四、隣国ではイギリスにしても、フランスにしても、アメリカにしても、民主主義革命をへて近代の民主主義国家が、それぞれの個性をもって現実に存在しているじゃないですか。そうした近代民主主義国家の課題に直面しているじゃないですか。マルクスにとっては、専制君主制の反動化したプロイセン国家が、どの様な社会進歩の課題に直面しているのか。ヘーゲルの国家論というのは、どの点が合理的で、どの点がどのようなわけで歪んでいるのか、このヘーゲルの国家論の批判的検討が、新たなドイツの社会進歩を切り開くうえで大事な欠かせない作業だったんですね。五、そうは言っても、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』は難解です。もとのヘーゲルの著作自体を理解するのが大変ですし、さらにそれを分析し、批判しているマルクスも、24‐5歳の若い集中力でそれに挑戦しているわけですから、尋常ではありません。私は、その核心部分のエッセンスについては、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で紹介してくれていると思うんですが。というわけで、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』の全体を紹介するのはむりなんですが、せめてその一端だけでも次回に紹介したいと思っています。