カテゴリ:Oの人生論
5月18日。 父親の7回忌、 母親の3回忌。 実家に親戚が10人ほど集まってくれて、 小さな法要を執り行った。 お勤めのあとも、 故人との思い出話をしたりして、 いい供養になったと思う。 父はお人良しだったが、 自分がこうしたいということは曲げなかった。 昔の職人らしく口も悪かった。 母は、 極度の心配性。 物事を悪い方、悪い方へと考える性格だった。 しかし、 職人だった父が独立を考え始めたころ、 父はあれこれ迷っていたのに、 母が父の背中を押した。 父の方が臆病で、 母の方が大胆だった部分もあったのだ。 2人とも働き者だった。 農業では生活できないので、 父は手先の器用さを生かしてブロックの塀を作ったり、 家の基礎工事をしたり、 トイレやお風呂を作る仕事を始めた。 見よう見まねで覚えて、 人に負けない仕事ができるようになって、 あちこちから依頼がきたのだから大したものだ。 母は、 いつも父の仕事の手伝いについていっていた。 父は口が悪い。 母の手際が悪いと、 ぼろくそに言う。 あんなにもひどく言われて、 よくぞがまんしたものだと思う。 とにかく、 家族が食べるため、 子どもを育てるために、 必死になってがんばってきたのだと思う。 決して裕福ではなかったのに、 ぼくは、 不自由や不足を感じたことはなかった。 ぼくは長男だったから、 父も母も、ぼくに夢をもっていたのだろう。 大学を出して、 いい会社へ就職させて、 出世してほしい。 両親の希望通りにはならなかったが、 紆余曲折はあったけれども、 68歳までいい人生を歩むことができたのだから、 ありがたい親だった。 そんなことを考えた一日だった。 両親には感謝しかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024年05月19日 17時35分46秒
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