2069702 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2015年08月16日
XML
カテゴリ:旅日記(近畿)
  5月17日は初めての月命日だということで山門(延暦寺)から僧がやって来て
  法華経の読誦が行われたが、毘沙門堂の御所に集まった人々に何かを言うことも
  できず、ただ涙にくれるばかりだった。
  そしてまずは宮の御霊牌を拝ませていただいた。

  葬儀は5月3日に行われたのだという。
  葬儀の日には霊空和尚が宮の棺の前で

     人間功業早円成 浄刹真遊忽啓行
     偏恨老身違素願 不陪聖衆立相迎

  と詠じ、大声で泣いたと聞いた。 
  それから私は宮の御廟に詣でたのだが、宮が生きていた時と同じように
  廟に向かってあれこれと申し上げる自分は狂っているのではないかとも思った。

  去年の秋、宮が上洛されて建てた寿蔵(生前に造った墓)の前には鳥居が建てられ、
  廟に据えられた丸い石の大きさは一尺にもなろうか。
  丸い石の下にある石には「大明大王塔」と刻まれており、そのかたわらには
  宮がおん自ら造った碑文が刻まれていた。

     大■名公辨字脩礼号玄堂当門第三世後住東叡輪王寺叙一品再補天台座主
     准三宮崇班封三千戸退隠当山奏太上法皇号大明院

    (ジジイ註:原文では欠損している文字もあるものの、「大王の名は公弁、
     字は脩礼、玄堂と号し毘沙門堂第三世にしてのち寛永寺に住まう。一品宮。
     天台座主を務めること2回。准三宮という高い地位にあり、封は三千戸、
     毘沙門堂に退隠して霊元法皇から大明院という号を賜った」という感じかな)

  これを見て宮がご生前の頃に自分に命じたことなどが思い出された。
  その中には果たせたものもあったし、いまだ果たせていないものもあるが、
  いずれにせよ涙の種でしかなく、

     無限悲心何日伸 不堪血涙満衣巾
     令名須是垂竹帛 愁絶人間夢裏春

    (浦井正明氏の意訳によると、「限りない悲しみに閉ざされた心は、いつになったら
     のびやかになるのだろうか。今は血涙が出るのを堪えることができず、その涙が
     衣服を濡らす。宮の名はすべて歴史に残されるだろう。今のこの愁いが人々の間から
     消えたらなあと、夢のうちに来る春を待っているのだ」という感じらしい)

  と詠んだ。

  18日から20日にかけては前に同じく勤行が行われた。明日は五七日(35日め)の
  逮夜だということで山門から20人の僧がやって来て、段捨不捨の論議が行われた。

  21日、正覚院大僧正を導師として曼荼羅供が修された。
  法会が終わると、まずは公寛法親王の名代として凌雲院(寛永寺の学頭であり、
  公式の場で輪王寺宮の名代を務められる唯一の有資格者)の大僧正が納経し、
  ついで寛永寺と日光輪王寺から、さらには諸寺諸山の門主の名代が次々と納経をした。

  これを見て私は大変うれしく思った。
  御生前に世間から尊崇された宮だからこそ、こうして亡くなってからも
  貴族から武家に至るまで日々多くの品が毘沙門堂に届けられ、
  その数は置き場もないほどおびただしい。

  宮の御霊前には交代で常時10人の僧が詰めて、初後夜3回の勤行を行い、
  7日ごとに行われる法会には山門の大衆などがかわるがわる毘沙門堂に来て
  法要を行っていた。
  そうこうするうちに2、3日が過ぎて24日になった。
  いつまでもこうしていても涙には果てがないので、まだ暗いうちに山階を出立した。
  最後に毘沙門堂を仰ぎ見て一首。

     ミしめなわ結ひもとめぬ玉の緒を
            何長かれとかけて祈りし


  鳥が鳴く東に行く(江戸に帰る)のだからもっと意気揚々と勇んでもいいはずなのに、
  変わりゆく世のはかなさを誰に語ったらよいのだろうか。
  今は語り合う友もなく、ひとり逢坂山で一首詠む。

     これや此行来人よこと問ん
            うきに誰かはあうさかの関


  この日は天気も良かったので琵琶湖の矢橋(やばせ)を渡ろうと舟に乗る。
  かの万葉歌人の満誓沙弥が「漕行舟の跡■白波」(「世中を何にたとへむ朝ぼらけ
  漕ぎ行く舟の跡の白浪」:拾遺和歌集)と詠んだことなどが特に思い出されて、
  鏡山を見ながら一首。

     旅■ろうきにあふミのかゝみ山
            やつれしまゝの影をうつして


  その夜は水口に泊まった。
  明けて25日は夜明け前に水口を出て夕方に四日市に着き、そこで宿泊。
  26日は早くに四日市から舟に乗り、日の出る頃熱田に着いた。熱田という地名に
  ふさわしく、暑さも堪えがたくて参った。
  もちろん、沈んだ心が慰められる訳もない。
  旅寝の夜が続いているので、まるで夢路をたどっているような心地がする。
  鳴海潟を過ぎる時に一首。

     けふ幾日かへりミやこのふしのねも
            遠くなるミの涙なからに


  28日、早朝に赤坂を発って浜松で風の涼しい宿を探す。
  29日、午前6時頃浜松を発って小夜の中山を越える時にまた一首。

     ふる里にうき旅衣かさねきて
            帰る夢路や小夜の中山


  菊川でも一首。

     いか■せん千とせの秋ときく河の
            露にはあらてぬるゝ袂を


  大井川は増水していて渡るのには苦労したが、明日は江尻に泊まろうと決めて
  この日は嶋田に泊まった。宇都山には思い出すことが多くて一首。

     われもまた夢とや越る宇都の山
            うつゝなき身の現成世に


  6月1日、今日はことのほか暑い。
  去年の末から疫病が流行って、駅ごとに100人、千人という多くの人が死んだという
  事を聞いて、旅人の多くも病にかかったようなのでその辺りは通過し、蒲原で
  食事を摂る頃には激しい雷雨に遭った。そのおかげで先ほどまでの暑さも忘れて
  生き返った心地がした。今日も富士山は見えず、また一首。

     けふハ猶都のふしの面影も
            幾重の雲やたちへたつらむ


  三島で仮眠を取ってまだ夜が明けないうちに箱根路にさしかかると尋常でない雨に降られ、
  従者もひどく疲れたのでやおら小田原に宿を取る。
  3日、小田原を出て大磯にかかる頃に一首。

     駒とめていかに問ましもしほやく
            浦の煙の行末のそら 

  鴫立沢(しぎたつさわ)でも一首。

     おもふ其哀れハ今もしられけり
            此夕くれは秋ならねとも


  今夜は神奈川に泊まる。もうここまで来れば明けるぞ暮れるぞと時間に追われて
  心せくこともなく、4日の正午頃寛永寺に帰り着く。
  戻るとすぐに公寛法親王からお召しがあり、かたじけないお言葉を戴いて
  涙ながらに退出した。

  翌日は七七日(49日め)の御逮夜ということで布薩戒が修せられる。
  6日の御法要は合曼荼羅供(金剛界と胎蔵界の両方の曼荼羅を懸けて行う)が行われ、
  僧正公然が導師として御霊前に諷誦文を読み上げた。

  『私共の師である大明院一品大王は、皇室の御出身であられるのに、仏門に入られ、
   天台の法門を体得され、その学識は他に越えていた。このため朝廷も格別の目を懸けられ、
   同時に帰依もされた。宮は私物は皆人々に施して手許に遺されなかったようなお方
   だったが、爵位だけは頂点にまでのぼられた。

   東叡山においては、(綱吉公の協力を得て)素晴らしい大伽藍を建立され、天台宗の
   光を輝かされた。また、東叡・比叡・日光の三山を管領されるとともに、宗内各寺院の
   ために尽力されたことは、言葉では言い尽くし難いものがある。このように、次々と
   業績を遺された上、公寛法親王を後継の宮と定められ、昨年の夏には湯島の別荘に
   退隠された。今春、山科の旧院(毘沙門堂)に帰られて、ゆっくりとされたいとの
   御意向で京都に上られたが、あに計らんや、そこでご入滅されてしまわれた。
   まさに沙羅双樹の木立も悲しみの声を上げるように、断腸の思いである。

   今日の七七日には36人の僧侶が集まって法要の席を設け、曼荼羅供の供養会を営む
   ことにした。もしこの法会に功徳があるならば、その功徳を尊霊に捧げ、尊霊が
   弥陀浄土の上品蓮台の座に坐すことを心から願い、尊霊がそこからただちに毘盧の覚王
   (毘盧舎那仏)となって、今度はそのお姿を現して、我々に説法して戴くことを願う
   のみである。

   正徳6年6月6日 住東叡山第6世■公寛法親王敬白』

   (原文は漢文でしかも長いので、『上野寛永寺 将軍家の葬儀』(浦井正明/吉川弘文館)
    所収の意訳文をほぼそのまま引用しました) 



にほんブログ村    





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年08月16日 17時41分56秒


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ]
価格:2916円(税込、送料無料)







PVアクセスランキング にほんブログ村

お気に入りブログ

ほげほげと えびねっこさん

© Rakuten Group, Inc.