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カテゴリ:ガンダム
今回見たTV番組はNHKで放送された「ガンダム誕生秘話」。
今年誕生40周年を迎える「機動戦士ガンダム」を富野由悠季氏ら関係者が当時を振り返る・・・という内容。 ガンダムを製作した日本サンライズ(当時)は設立4年目の会社で他社の下請けでやっていた会社。ガンダムの企画が立ち上がる前にザンボット3、ダイターン3がそこそこヒットし、次に立ち上げた企画がガンダム。企画時のタイトルは「フリーダムファイター」・・・ってのは知ってる話。 ・当初はSF版15少年漂流記を意識していた。この案は「銀河漂流バイファム」で使われてる。 ・富野氏の証言:ガンダムでは宇宙戦争となったのは敵を今までの侵略宇宙人を迎え撃つ・・・って展開から脱却したかった。 映画化を前提とした企画だった。 ・安彦氏の証言・1:ガンダムの企画が立ち上がった時、ボロアパートですし詰め状態になって新作アニメについて練っていたけど誰も意見しなかった。そこで出てきたのが富野メモ。これを読んだとき斬新と思った。 ・安彦氏の証言・2:ガンダム1話放送日は「ヤマト」の企画会議の日。会議の最中にガンダム1話を見た 使用した色について言及。「ヤマト」2~300色使っていたけど、「ガンダム」では79色だった。けど安彦氏の意見を取り入れて3色足してもらった。 ・安彦氏の証言・3:製作中に病気になって入院を余儀なくされた安彦氏。心臓発作で倒れた同業者がいるので自分も心臓発作か?と思ったらしい。普段は平静を装っていたが、人がいないところで「死にたくない」と思っていた。病院でガンダムのTV放送を見たが、自分が抜けたことで作画がひどくなったのを見てみるのが怖かったと証言 心臓発作や過労で倒れて死んだアニメーター・・ってのは昔も変わらなかったようだ。 ・富野氏の証言・2:サントラのジャケットが子供向けアニメ風だったため富野氏が難色を示した。 70年代アニメのサントラはあんまり見られずガンダムのサントラがリリースされるや人気が出てかなり売れた。 ・板野氏の証言:おもちゃが売れないのでスポンサーから電話が何度もかかり、富野氏が電話を聞きながら「申し訳ございません」って言っているのを何度も見た。 ・古谷さんの証言:このころは「古谷さん=星飛雄馬」のイメージから脱却できなかったころでアムロのイラストを見て今までのとは違って、力を抜いてやっていいかもと思った。ある雑誌で「アムロの役をやったことで星飛雄馬の呪縛から脱却できた(大意)」と言ってたしね。 けど、古谷さん、「聖闘士星矢」で星矢の役が決まった時、「(調子は)星飛雄馬のまんまやってもいいんじゃね?」と思ったとか。 ・池田さんの証言:アムロのオーディションを受けたが、アムロのイラストを見て自分では無理かも?と思った。シャアのイラストを見て急遽シャアのオーディションを受けた。 ・潘さんの証言:(ララァをやる前にTV版ではイセリナを演じているが)、ララァの存在感について語った。娘のめぐみさんも「The ORIGIN」でセイラさんを演じているけど、母娘でガンダムに関わるって不思議な縁を感じる ・松崎氏の証言:SF考証を担当。ミノフスキー粒子のネーミング秘話などを語った。 ・大河原氏の証言:70年代は敵メカは売れないってのがお約束だった玩具業界。アニメ業界に入る前は衣服関連の仕事をしていたため、ザクIIのデザインにスーツの意匠を入れた。実際にザクが動いているところを見て感激したとのこと。 ・TV版は初回3%台、最高視聴率9%台だった。関係者は視聴率が貼り出されるたび一喜一憂してた。視聴率が低かったものの、中高生をメインに人気が上昇し、サンライズにはファンレターがきた。 関係者がガンダム研究サークルの人々に取り囲まれたことがあった。 ・最終的には打ち切りで終わったファーストガンダム。映画化の話が来たのだが、公開日前後にイベントが行われて(アニメ新世紀宣言)人気を再確認。劇場版1作目に「I」と付かなかったのは興行収入(当時は配給収入)次第では続きが製作されなかった可能性があったから。 ファーストガンダムを神聖視する傾向は嫌いだが、劇場版は嫌いじゃないなぁ 【中古】だから僕は…—ガンダムへの道 (角川スニーカー文庫) 【送料無料】#3 05640【中古本】機動戦士ガンダムさん 5/大和田秀樹 この巻からスタートした「ガンダム創世」はガンダム誕生秘話をギャグ・虚構と現実を交えて描く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Apr 13, 2019 06:51:41 AM
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