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カテゴリ:政治あるいは自由論
別にファンタジーノベルを書きたいわけじゃないし、『ほにゃららコード』みたいなミステリーを書きたいわけでもない。
「伝統の再創造」について書きたい。 っていうか、また表題パクりました。もちろん、着想もパクりました。 初出→「ガラパゴス通信リターンズ」の加齢御飯さんの言(ちなみに、カレーライスさんと読むようです)。 以下、コメント欄でのやり取り。 きみぃがぁよぉう (足踏堂) はじめまして。いつも勝手に楽しませて頂いております。足踏堂と申します。 君が代。 賛美歌を元にして作曲されたと聞いたことがありますが、この辺り、加齢御飯さまご存知ありませんか。 明治においては、すべて西洋的キリスト教的なるものの移し変えだったという意見もあながち否定しきれない気がします(靖国は一神教の移植等)。 換骨奪胎 (加齢御飯) 足踏堂さま。はじめまして。ブログはいつも楽しく読んでおります。 君が代が賛美歌。きいたことがありますね。神式の結婚式も、キリスト教の結婚式の模倣で大正年間にはじまったものだという話を学生の卒論で知った時も驚きました。 明治の指導者たちは欧化を急いでいた。そして西欧文明の根底にはキリスト教があることを痛いほど感じていた。しかし本物のキリスト教を受容してしまうと、神の目のみを恐れる個人が生まれる。そうした個人が増えれば、薩長の下級士族がクーデターででっちあげた明治政府は簡単に崩れてしまうだろう。そこで薩長藩閥政府がキリスト教の等価物としてでっちあげたのが国歌神道だったのではないか。キリスト教抜きで学校制度を成り立たせるために、教育勅語が必要だったのではないか。私はそう考えています。キリスト教を換骨奪胎した果てに生まれたのが、近代日本の天皇制イデオロギーだったのではないでしょうか・ Unknown (足踏堂) 加齢御飯さま、まめぞおさま 結婚式もそうでしたか! いや、本当に面白いですね。 曖昧な記憶ですが、以前NHKかどこかのドキュメンタリーで、賛美歌ルーツを検証していて、従来の雅楽説は後付け(のしかも俗説)ではないかと疑問が付されていたように思います(かなり曖昧です・・・)。 私としては、かつて忌野清志郎がやったように、ロックの節をつけて「君が代」を歌うとかする試みが好きです。それこそ、「自分たちの国歌」になると思いますけどね。換骨奪胎返しみたいな(笑) 隠された十字架 (加齢御飯) 足踏堂さま。タイトルのことばが浮かんできました。「右」の人たちが「日本の伝統!」と声高に叫んでいるものの多くが、明治になってから、キリスト教文明の模倣ででっち上げられたものがいっぱいあるのではないでしょうか。ホブズボームのいう「伝統の創造」を検証してみる必要がありそうです。 「伝統の(再)創造」というのは、「伝統」ってのは「創造」されているってことだ。 そもそも古式ゆかしい伝統行事は必ずしも「古式ゆかしい」わけではない。その多くは近代になって新たに再創造されたものである。このことを「伝統の再創造」(ホブズボーム)という。(参照) ■気になっていることが一つ さて、気になっていることが一つある。「つくる会」人事だ。八木前会長の「解任」(後に辞任に変更)と種子島新会長の就任。 これは「▼CLick for Anti War 最新メモ」さんの記事で知った。 「つくる会」の説明は読み返してみても、やはりよくわからない。 そういうわけで、本日の掲題らしく、推理と行きましょうか。 ■八木と種子島 八木前会長と種子島新会長の思想スタンスの違いを言えば、それは前者が日本の「伝統」なるものを「反立憲主義」として措定するのに対して、後者は「ユダヤに学べ」主義という、もっとオカルト的な「選民思想」アプローチを採ることである。 そもそも「伝統」がおかしいのは上に見たとおりで、それを学問的に押そうとする八木のスタンスに無理があったのは言うまでもない。 そこで、もっと「信仰」を前面に出したアプローチを行う種子島が選ばれたと見るのが正しいのではないだろうか。 「つくる会」がいよいよ、オウム化していこうとしているわけだ。 ■隠された十字架 そう、結局、明治を大切にしようとする彼らは、明治の近代性ではなく、明治の近代性に擬した非近代性を復活させようと、舵をきったように見える。 隠された十字架。選民思想。オカルト。 「つくる会」は、ある程度、世相の反映かもしれないと思っている。 この国が変な方向にいかないためにも、少しだけ、考える力を残しておきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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