カテゴリ:人物
ドイツはまだまだというか、またままたまtまたまたまたまた雪で、もう雪の顔は見たくないです。
凍った道路を歩くのはおっかないけれど、昨晩は友だちの「マウルタッシェディナー」に行ってきました。 マウルタッシェというのは、ドイツはシュヴァーベン地方の名物で、いわばドイツ版餃子。餃子よりも大きくて、四角。ひき肉やパセリのフィリングを餃子よりもびっしり詰めたパスタ。 これを焼いたり、スープ煮にして食べるのです。友だちのマウルタッシェは肉屋で買ってきたもの。自宅で作る人もいますが、まあ、買ってくる方が手っ取り早い。 さて、集まったのは、数年前まで毎週、月曜日の晩に飲み屋に集まっていた連中。 久しぶりに会いました。 彼らの生き方が、今のドイツの中流の一側面をあらわしているように思えるので、顔ぶれを紹介してみますね。 ・まず、招いてくれたのは、中流というよりお金持ちのS君。小柄でエネルギーたっぷりなので、50歳半ばとか中年とは思えない「青年」です。 心理学を専攻した彼は一時は麻薬中毒の青少年を立ち直らせる施設などで仕事をしていました。 彼は亡くなったお父さんが会社を残してくれたので、お金には困らない存在。 現在は豪華なヨットをもち、年に数ヶ月は地中海その他をクルーズしています。 過去も現在もパートナーはいますが、結婚したことはなく、現在のパートナーPさんとすてきな住いで二人暮し。 自分の「幸運」へのお返しにと、パートナーといっしょにNPOを設立して、日曜日に、希望する子どもたちがゲームやテレビでなく、自然の中で有効な時間が過ごせるような活動を提供しています。 ・職業学校で教師をしているBさんは、P君の元彼女。カップルが別れた後も良い親友関係が続いていれば、こうした機会に元彼女や元彼が招かれるのは、私の周囲ではふつうのこと。 Bさんは大昔は絵描きと結婚していたことがありますが、子どもはなく、数年で別離。その後、P君としばらく付き合った後にま別離。さらに20歳下のアフリカ人男性とカップルでいた時期もあります。 最近、幼馴染の男性と再会し、カップルとなって同居をはじめ、今はとっても幸せそうです。 「あと123日で定年よ。そうしたら彼と色々な国を旅行したり、ヨットクルーズ(今回のお相手もヨット好き)したり、ハイキングしたり、したいことはいっぱいあるわ」 ・グループの中でいつもひときわ目立つGさんは、大きくてきりっとした目が魅力的な女性。 若い頃はそれはそれは美人でしたが、67歳の今も「老婦人」とか「おばあちゃん」といった言葉はぜんぜん当てはまらない女性。雑誌の編集長とか女性映画監督といった印象を与える人です。Gさんは数年前に定年退職するまで35年間、化学検査技師として働いてきました。 驚くのは、彼女はもう「ひいばあちゃん」なんです。 彼女は17歳のときに、これまた絵描きと結婚して娘を産み、その後、離婚して一人で育てました。その娘さんもまた若い頃にインドネシア人と結婚して娘二人を出産。 そして、Gさんの孫娘の一人も若いときに結婚して子どもを二人産んだので、Gさんは60代半ばでひいばあちゃんになりました。Gさんのイメージとはぜんぜん合いませんけど。 ちなみに、Gさんのお母さんもまだご存命です。Gさんのお母さんは「ひいひいばあちゃん」になるわけ。曾曾孫という言葉あるんでしょうか。 男性パートナーとの生活を何度か経験しましたが、現在は一人身。地域のペタンクグループに参加していて、試合に出かけたり、インドネシアの娘のところに出かけたりと、老後(という言葉も当てはまらない)を楽しんでいます。 ・Gさんの元彼、Gさんより11歳年下のF君も来ました。 F君は「金持ちのどら息子」と悪口を言われそうな面をもっています。大学で生物を専攻し、教師の資格をもち、いい頭をもっていますが、20年前に父君が亡くなって遺産を相続して以来、働くことなく、飲み屋を渡り歩き、警察のご厄介にもなっていました。 F君が「聖なる女性」とあがめていたGさんとは10年以上もいっしょにいましたが、酔い癖の悪さがたたり、愛想をつかされて、Gさんに去られてしまいました。 私たち、F君の親友たちは、酒を止めさせる見込みなしと、あきらめていましたが、「鉄のような意志」で断酒を実現させたのは、F君の現在の妻、Nさんです。 F君が酒を絶って早5年。昨晩も回りの友だちがワインやビールを飲む中で、一人ジュースとお茶をすすっていました。いったん一口でも飲めば、その後、なだれのように次々と飲んで、人が変わったようになることは、過去に私たちはいやというほど経験していますから、現在のクリーンさは目をみはるほどです。 ・F君の妻、Nさんは40代後半の女性。ドイツ人ではなく、グルジア(ジョージア、旧ソ連に属していた黒海に望む小さな国)出身です。ドイツ人とは違うメンタリティーをもっているからこそ、F君に酒を止めさせることができたのかもしれません。 彼女はグルジアでは教師をしたことがあり、これまた若い頃に結婚し、娘が一人いました。 その後、離婚した彼女は、ドイツに移住した兄に続いてフライブルクにやってきました。 そしてF君と知り合い、滞在ヴィザを取るためもあって、F君と結婚しました。 彼女はF君の周囲のドイツ人たちと違って、「家庭的」で古風なタイプ。F君が他の女性と気軽に会うことすら禁じ、やきもちを焼きとすさまじいエネルギーなのですが、ひとりでいることができないF君をしっかり押さえていて、断酒も実現させたのです。 Nさんのすごさはこれだけではありません。実はNさんの娘は15歳のときに、二周り年上の男性といしょになり、17歳で出産しましたが、不幸な結婚でした。 それで、Nさんは自分のヴィザを確保したあと、グルジアに残してきた娘とその息子、つまりNさんの孫をフライブルクに越させ、娘をまずは適当なドイツ人男性と結婚させて滞在ヴィザを確保し、さらにはNさんのお母さんもグルジアから引き取り、これまた結婚相手を見つけて、ヴィザを確保。 そのほか、いとこたちも現在はドイツに移り住んでいるそうです。 これはグルジア人の現在を象徴しているようです。 昨晩のNさんの話では、グルジアはソ連時代は栄えた国で、学校も無料、大学も奨学金のおかげで無料。すばらしい自然に恵まれ、生活に困ることはなかったのですが、ソ連崩壊以来、一部の大金持ちは別として、一般人の多くが職を失い、生活は困窮する一方、国民の何分の一かは仕事や金をもとめて西側ヨーロッパに流出したそうです。グルジアだとお医者さんでも月収が二万円ぐらいだとか。Nさんがどんな手段をつかってでも、家族をドイツに移住させた力も理解できます。 Nさんも40歳にならないうちにすでに孫ができたわけで、彼女のお母さん(現在は60代後半ですが、曾孫ができたときはまだ50代)も、これまた若い「ひいばあちゃん」。 ところで、グルジアには今、日本からの客が多いそうですよ。生物学的に興味深い発見があったのをきっかけに、日本人が訪れるようになったのか。 徐々にですが、グルジアはふたたび、観光国として盛り返しているそうです。 Nさんはやきもち焼きなので、ふだんはF君が元彼女、「聖なる女性」のGさんと連絡を取るのは禁止しているのですが、さすがにS君がGさんを招待するのを禁止するわけにはいかず、無理やり微笑んで、Gさんとも話していました。人間、やきもちというやっかいな感情のせいで、人間関係や自分の生活を無駄にややこしくしていますね。 ・教師をしているDさんは、NさんがF君が会うのを許している唯一の女友達。過去にDさんとF君の間に何もなかったからか、Dさんなら無害(こう思われるのもDさんには心外かも)と思っているのか。 彼女も17歳で結婚、聴覚障害をもつ息子を出産しました(彼女が風疹にかかったためだそう)。 子どもが3歳のときに、相手の男性は他の女性を求めて離婚。 それ以来、Dさんは息子をつれながら、大学に通い、資格を二つ取りました。 あと数年で定年のDさん。息子さんは障害を克服して職をもち、結婚し、家を建て、子どもも二人めぐれました。Dさんは週末には孫たちの世話もしていますが、彼女もおばあちゃんというイメージとはちょっと違っています。明るい金髪、きりっとした顔立ち、お腹は出てるけれど、すらっと背が高くて、帽子が似合うレディーです。 こうやって周囲の友だちを見回すと、女性はみんながんばってるなあと感心します。 男性は、たまたま↑の二人がそうなのですが、親の財産のおかげで、かなり気楽な人生。 でもこの二人は両極端。P君はいつでも何かしてないといられなくて、次々とアクション。 一方、F君はその逆で、かつてはアルコール、現在はラジオと新聞で毎日が過ぎていくようです。 男女ともにみんな、政治にも環境にもそれなりに興味をもち、ディスカッションもはずみます。 でも、かなり恵まれた状況にいて、のほほんと暮らしているともいえます。 このグループがドイツの典型的といえるかどうかは、大いに疑問ですが、ドイツの一面が現れているようにも思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
色々な方がいらっしゃいますが、皆さん魅力的♪
solarさんのお人柄でしょうか、お付き合いする方も色々な魅力をお持ちですね。 Nさんの頑張り、凄いですね。 結婚って、嫌でなければ大丈夫なものだと思うのです。馬には乗ってみよ、の言葉通り、一緒に暮さないと分からないこと多いはず。一緒に暮らして寄り添える部分を探すのも方法ですよね。 私の周囲の40歳前後の女性は、あれやこれやで希望が多く、中々お付き合いも始まりません。Nさんのように、飢えた部分が無いと結婚出来ないのかな~と思います。日本人は恵まれてますよね・・・ (2010/12/16 04:49:55 PM)
「結婚って、嫌でなければ大丈夫なものだと思うのです。」← おおお、そういう見方というか感じ方もあるのですね。この言葉とっておきます。
私自身はまったく逆で、惚れていても一緒に暮らしたらダメになる、と確信しているので。近すぎる関係、すべてを共有することによるダメージが大きすぎると。 「寄り添える部分を探す」 ←これも距離のとり方の一つかもしれませんね。寄り添えるの部分だけ見て、あとはお互いに自由にして、距離を取るということでしょうか。 「周囲の40歳前後の女性は、あれやこれやで希望が多く」←この現象はドイツでも同じ。妥協して、適当な人と一緒になるよりは、一人を選ぶのです。 「飢えた部分が無いと結婚出来ないのかな」← これもほんと、昔は家族がないと生きていかれなかったけれど、今は生きていかれるから、家族とか夫婦の形態も変わっていくのですね。それでいいと思います。 (2010/12/16 07:35:07 PM)
子どもが生きるエネルギー源の一つになるのは確かですよね。
私は娘が5歳の時からほぼ一人で育てたわけですが、がんばったとは言えないながらも、「今、死ぬわけにはいかない」という責任感で、重たいなあと思いました。娘が自立、結婚してからは、「いつ死んでもよいという自由」を得たような気がしています。「ふぬけ」になったとも言えますが・・・。 「もしいなければ 頑張れなかったことも多いかな と思います」←ということは、色々辛いことを乗り越えてこられたのですね、尊敬いたします。↑のDさんのこれまでの乗り越えを想像しても、偉いなあと尊敬しています。 ----- (2010/12/17 07:36:21 PM)
マウルタッシェ、大好きです!スーパーの出来合いはあまり美味しくありませんが、お肉屋さんで買うといいんですね。
SOLARさんのお友達、特に女性の方々の「行動力」が凄いと思います。 やはりこちらでは離婚は日常茶飯事なんだなぁ..と思いますが、私はやはりインドア派なのでなかなか行動に結びつきません。 そして、ドイツ人の沢山のお友達を持つSOLARさんもさすが! 私はドイツ人のお友達あまりできませんでした。 いや、これからできるかも。娘が新しい学校へ行ったりしたら.. (2010/12/18 04:24:15 AM)
マウルタッシェ、自分で作ればもっとおいしいですよ、ふわっとなって。
友だちの女性たちは、行動力というより、がんばるほかなかったのだと思います。 私はドイツに留学生としてきたのと、Wohngemeinschaftで暮らしたおかげと、付き合った男性のおかげと、仕事のおかげで、ドイツ人の知人・友人がたくさんできました。ただ、このごろは出不精・招き不精になったので、ちゃんと友だち関係を維持できてませんが。日本人の友だちはこちらでは一人もいません。知人が数人ぐらい。こちらの「狭い日本人社会」に入るのが怖くて避けていることもあります。ドイツ人、とくに男友達は気楽で、何でも話せるんですよ、不思議なことに。 コーヒーキャットさんは外でお仕事をなさっているから、お友だちができやすいのかと思っていました。友だちというのは、こちらから積極的に向かわないとできないとつくづく思います。近頃はめっきり家(内)にこもっています。↑のDさんが毎日曜日やってくるので助かってます。 (2010/12/18 08:11:17 PM) |
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