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沖の千鳥の陸あそび

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蒼鰻@ Re[1]:はなみ 1(04/08) takahasiさん >また、誘ってください …
takahasi@ Re:はなみ 1(04/08) いろいろ、ご心配おかけいたしました ま…
蒼鰻@ Re:友達失ってないよ(笑)(04/19) Rちゃんさん >ずっと、ずっと良い仲間で…
Rちゃん@ 友達失ってないよ(笑) 冒頭から驚いちゃいました ずっと、ずっと…

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蒼鰻

全21件 (21件中 11-20件目)

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旅行

2008年08月21日
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カテゴリ:旅行
午後6時過ぎ 長岡から六十里越えで只見へ向かう。
山間部である為、この時間になると真っ暗になる。
国道といえども、峠越えの道は険しくカーブまたカーブ、登りに下りと、ハンドルを持つ手に力が入り、汗がにじむ。
夜の闇の為、曲がった道路の先が見えず、顔と目は左右に動きっぱなしだ。
特に只見へ入る20kmくらい手前からは緊張の連続である。

只見へは午後8時過ぎにようやく到着した。

民宿「ふるさと」が今日の宿である。
時間も遅いので先に夕飯を頂く事にした。
食事の途中からご主人が日本酒を手にして来て話をしてくれる。
年齢は私とさほど変わらないだろう、垢抜けした中々男前のご主人である。
民宿経営のかたわら役場の仕事もされているようで、只見の紹介を熱っぽく語ってくれる。
明日の墓前祭の事、只見の自然や見所等など下知識として有意義な情報を教えてくれ、この地の言葉のまま語ってくれるのが、酒の酔いとともに心地良い。

何時頃だろうか、すっかり酔ってしまい、疲れも手伝ってか、部屋の布団の上に倒れ込むとそのまま寝入ってしまった。

翌朝目覚めると激しく雨が降っている。
今日の行事は大丈夫だろうか・・・・・

荷物をまとめ、この日の宿泊先の「ますや旅館」へ移動する。
ここのご主人は蒼龍窟が行くのメンバーで4・5年前にも一度家族とともに泊まらせていただいたことがある。
久しぶりに再会したご主人はお変わりなく、いつもの暖かい雰囲気と包み込むような笑顔で迎えてくれた。
只見に来る楽しみはこのご主人との再会もあったのである。

ますやさんが運転するマイクロバスで墓前祭会場の医王寺まで送ってもらう。

道中 バスの窓から見える景色が素晴らしく美しい。
連なる山々、豊富な量の川の水が只見の特徴的な景色を織り成している。

mizu

深い降雪地帯である只見は年の半分は雪景色である。
今は濃い緑に覆われた山間部も冬には大雪で、その雪が山肌の樹木や地肌まで削り取って行くそうで、こういう環境は世界でもめずらしいそうである。

hada
taki

また、白神山地より広大なブナの自生地で、夏はブナの間に繁殖する雑草や雑木も、冬は雪で押しつぶされ、ブナの生育を妨げることのない、自然の循環が働いているらしい。

keitou

只見は多くの川が入り組み、合流し、只見湖や田子倉湖など水量豊富な土地でもあるので、険しい山々があるにもかかわらず、水に浮かんだように見えるので、深い緑が水に映り、なんとも名状しがたい景観になるのである。

hana

私はこの只見の風景に魅了され、今回で二度目の訪問ではあるが、この土地に羨望と愛着をおぼえるのだ。
時々、都会にいると只見のことを思い出し、次の機会は、いつか今度はと思っていたのが、今回実現できて、それだけで喜びがこみ上げて来るのである。


墓前祭などの予定の行事が済み、また、ますやさんのご主人が只見周辺を案内してくれた。
田子倉湖でカメラを持って散策していると、空に遊弋する鷹を見つけた。
大自然に生息する鷹の雄大な羽ばたきを眺めていると、まさに心が洗われて、原点に立ち戻った気分になる。

tobutaka
yasumutaka

先に書いた只見の人の歴史や、今を生きる只見の人の表情。
人生の半分を雪とともに生活する厳しい自然との共生、そんな環境から育まれる気性や気風。
都会で生活する私には窺い知れない事がたくさんあるのだろうけれども、長岡の敗残兵の収容や河井継之助を140年経った今も大切に弔っているのは、人を大切に思い、自然を大切にする気持ちの表れだと思う。

振り返って、煤けた都会で、タオルを首に巻いて「暑い!暑い!」とぼやきながら、銭勘定に追われている自分なぞはいかにも卑小に思えてくるのだ。

人の一生って何だろうか?
生きてゆく上での判断や価値観、人に対する思い遣り、いさぎよさ、そして心の豊かさなどなど。
只見に居るとそんなところまで想いを凝らしてしまう。

tyou

他に感ずることは色々あった。ダムにより、水没した村々の住民の悲哀や、その昔は「マタギ」が狩猟生活していたことも知った。
日本各地には私には知らないことがまだまだある。
もっと色々な土地を巡ってみたいと思う反面、只見にはこれから先も来ようと思うのである。








Last updated  2008年08月21日 16時57分11秒
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2006年08月21日
カテゴリ:旅行
中岡慎太郎館
室戸市の西寄りに北川村が在る。
海岸線の国道から山側へ7kmほど内陸に進まねばならない。
奈半利川を上流へ進むにつれどんどん寂しい寒村風景になる。
奈半利川の清流を眺めつつ行くとダムがあり、それを横切って行くと慎太郎生家・記念館がある。
初めて知った事なのだが中岡慎太郎は士族ではない。
この界隈の大庄屋ということではあるが、点在する山村を束ねる庄屋であろう。
生家は台風で流されたのを再建したものであるが、大庄屋という豊かさはあまり感じさせない造りである。
seika]sintarou
記念館には2・3組の見学者があった。立地としては決してよい場所では無いので盆休みということもあっての複数の見学者なのであろう。
わざわざ来た関心の高い見学者という感じで皆さん展示物を熱心に覗き込んでいるのが好感を覚える。
じっくり時間をかけて見学をして表に出ると何と無く清々しく山村の風景が懐かしく感じるのであった。

室戸岬
この日は台風が近づいていて波が高い。
太平洋に面した、まさに外洋の風浪は激しく、普段、大阪に住んでいては中々見られない光景である。
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中岡慎太郎像
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弘法大師像
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慎太郎・空海像共に外洋を睨んでいる。
この日の天候がそう思わせるのかも知れないが、烈しい風浪を眺めていると何と無く闘志が湧いて来るような気になる。
岩を打ち砕かんばかりの波しぶき、へこたれること無く寄せては返す波濤は際限無く繰り返す。
強い意志を貫かんとする決意を感じさせ、何事かを成し遂げる動機付けを与えられるような気がした。

車を走らせているとお遍路さんに出会う。
年齢は様々だが、時々我が家と年恰好の近い親子のお遍路さんにも出会う。
夏のお遍路は暑さとの戦いで余程の覚悟と気力と準備が必要だろう。

東洋町 白浜海岸
台風接近の為、遊泳禁止である。
しかし、沖に小島が点在するので、いままで見てきた波浪程では無い。
ので、モラルの低い我々一家は海水浴を強行したのであった。

夕刻、帰宅の準備。
日和佐・小松島・徳島と道中は大渋滞である。
鳴門大橋を渡り淡路島の叔父の家にちょっと顔を見せて・・・と思って叔父の家に着いたのは午後8時を過ぎていた。田舎暮らしの叔父夫婦は寝ていたが、20分程話をして帰途に就いた。
淡路島の夜空は澄みきっていて北斗七星が見事に観えるのである。
帰宅したのは11時前になった。

今回の旅では史跡はもちろん歴史にも触れ合うことが出来た。
だが、何と言っても多くの自然と触れ合えた事が好かった。
日本の自然・風景は知らず知らずに眼の奥に刷り込まれ、歳を取ると過去の風景との対比が出来て田舎の自然・風景が懐かしく、昔の事を思い出させたりする。
私くらいの年齢になるとそんなノスタルジックな想いが喜びになるのである。







Last updated  2006年08月26日 11時11分23秒
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2006年08月20日
カテゴリ:旅行
私はこの歳になるまで高知を訪れたことが無い。
今回の高知行きの期待は大きかったのだ。
後藤象二郎・板垣退助の生誕の碑を見ながら高知城へ向かう。

高知城
ここでもNHKの大河ドラマ「功名が辻」が観光のメインなっている。
土佐二十四万石博が開催中で大河ドラマ館・功名の門など大河ドラマ一色である。
城内には真新しい山内一豊の銅像と古びた一豊の妻 千代の銅像がある。
高知城は多雨・多湿で石垣が苔生している。それが年月を感じさせて、好い雰囲気をかもし出している。
一豊が土佐に入国した当初は浦戸城を居城としたが、内陸の大高坂山に築城した。その後大高坂山を河中山→高智山→高知と変名させた。
土佐と言えば坂本龍馬になるので郷士の龍馬と山内とは繋がりの隔たりがあって、ストレートではない。
一豊入府の際、元長宗我部の領民とは中々折り合わなかった。一豊はその領民を穏やかに平定出来ず、大量虐殺という愚行を犯してしまった。
槍一本で功名を遂げた一豊であるが政治的な音痴というか、不器用さが有って、妻の千代にスポットが当たってしまうのかも知れない。
司馬遼太郎の作品で「龍馬がゆく」「功名が辻」「夏草の賦」があるが、私は「夏草の賦」に惹かれた。
高知城周辺には幕末を中心とする見所がたくさんある。しかし、真夏に史跡巡りばかりしていると下の息子の機嫌が悪くなって来た。息子は海水浴に行きたいのだ。
kazutoyokouti

坂本龍馬記念館
今回の高知での見所の最も期待したところである。ところがここの展示物は以前に京都で龍馬に関わる展覧会などで何度か観ているものばかりで、特に真新しいものは発見できなかった。
しかし、入場口すぐにあった司馬遼太郎の銅像還暦に寄せるメッセージが屏風にされていて、そのメッセージの内容に私は感激したのであった。
messezi

桂浜
龍馬の銅像がある。
浜の風景が素晴らしい。浜に押し寄せる黒潮が岩にぶつかり大きく波しぶきを上げている。
この荒々しい自然の力強さに龍馬は勇気付けられ、外洋に大きな夢を膨らませたのだろう。
ryoumahatou

この後、室戸へ向かう途中で息子の機嫌をとるべく手結海水浴場で夕刻まで泳ぎ、宿泊地へ向かった。

宿泊地の室津の港の夕景
murotu






Last updated  2006年08月22日 21時44分30秒
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カテゴリ:旅行
金刀比羅宮
朝風呂を浴び、朝食を済ませ、いよいよシゴキへと出発である。
この真夏の炎天下によりにもよって金刀比羅さんへ参るのも物好きと言えば、そのとおりであろう。
杖を突き、○金印の団扇を購入、飲料水の準備も万端で出発である。
それに付き合わされる我が子たちは迷惑この上ないかも知れない。
娘は最初から最後まで、はちきれんばかりのふくれっ面で、念仏の如く不足と愚痴と文句を唱えていた。
サウナに入ったように汗がしたたり落ちる。何度も休憩する。しかし、本宮までの道のりは厳しい。
航海安全の神様である金刀比羅さんは船にまつわる碑や施設がある。
私の父は戦時中と戦後の一時期、掃海艇に乗っていた。その掃海艇の記念碑も有ったのでカメラに収めた。
森の石松が「寿司食いねぇ!酒呑みねぇ!」とやったのは金刀比羅参りの場面ではなかったか?
それ程昔から信仰の厚い神社らしく、参道の石灯籠も年季の入ったものがあり歴史を感じさせる。
ようやく本宮に到着した。ヘトヘトである。
まだ奥社が残っているが、本宮で充分達成感を味わえたのでここまでとする。
本宮までの石段が785段で奥社までは1368段あるという。もう登れない。
景色もいいし、社殿もとても立派なものであり、全国からの参拝者を集める魅力を備えている。
konpira

善通寺
今年に入って、大覚寺、仁和寺、高野山、醍醐寺 と真言宗の総本山などを巡って、とうとう空海の生誕地の善通寺に来ることが出来た。
空海に関してまだまだ理解出来てはいないが、これからのテーマにして行こうと思っている。
西院と東院とに分かれ規模は大きい。遠くから五重塔が眺められる。高さは45.5mと57mの京都 東寺の五重塔よりは低いが、見劣りしない迫力のあるものである。
御影堂の地下には、約100メートルの「戒壇めぐり」があり、まっ暗闇の中、「南無大師遍照金剛」を唱えながら願い事を念じて手探りで進んでゆく有難い回廊がある。
その有難い回廊で我が子達は
「はよ 行けよ!」
「押すな!ボケ!」
「しばくぞ!アホ!」
と、親として恥ずかしかった。
kuukaigozyuu

陸上自衛隊 善通寺駐屯地
善通寺へ行く道すがら、自衛隊の敷地に戦車・ヘリコプター・ジェット機が展示されていたので、見学させてもらった。
我が子たちは実物の兵器を見るのは初めてであろう。熱心に見学していた。
ここの駐屯地には「乃木館」がある。明治31年帝国陸軍第11師団が四国全域を管区として編成され、初代師団長が乃木将軍だったそうだ。
明治31年といえば日清戦争が大勝で終結し、この時、乃木将軍も旅順を数日で落とし凱旋、軍人としては絶頂期にあった時期ではなかろうか?
この後、日露戦争では多大な辛酸を嘗める事になろうとは・・・乃木大将を思うと苦渋に満ちた姿を想像してしまうのである。
71siki

丸亀城
以前は国宝 丸亀上であったらしいが、今は重要文化財に指定変えされている。
石垣が素晴らしく、天守閣までの道のりは非常に険しい。
天守からの眺めは素晴らしく瀬戸内の風景は格別である。
marugame

かずら橋
大歩危・小歩危を通り、かずら橋へ。
山中の道中での眺めは絶景である。日本の山川の良さを発揮していて癒される。
この日のかずら橋は混雑していて、橋を渡る順番を待つのにかなりの時間を要した。
蔓で造られ、粗めの渡り板が、いかにも頼りなげな吊り橋を渡るのはスリルがあるのだが、蔓に隠されたワイヤが興を醒めさせる。
以前からここは見たかったのだが、周辺の観光施設が行き届き過ぎて、期待していた自然の好さはあまり感じられない。観光化と自然は共存出来ない。
kazura

この後、宿泊地の高知市へ行き、名物のかつおのたたきと鯨の刺身に舌鼓を打つのであった。






Last updated  2006年08月20日 13時42分17秒
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2006年08月17日
カテゴリ:旅行
お盆休み
今年は四国へ行く。と言っても3泊4日なので東半分しか回れない。
家族全員の要望を取り入れようとするとそれでもいつものように欲張りで、大急ぎで、駆け足の旅になりそうだ。

初日
午前8時過ぎの出発になってしまった。
5人の足並みを揃えようとすれば、起床から準備、出発に2時間見ていても無理がある。もっと早い時間に出るつもりだったがこれもいつものことである。
名神吹田から高速で阪神高速へと急いだ。西宮のジョイントで大渋滞。
そこから明石海峡大橋まではノロノロと前の車のお尻を注視しながら行く。目に焼きついた。

午後2時に四国に上陸。
高松自動車道の津田の松原SAでセルフの讃岐うどんを食す。絶品である。

栗林公園
四国 高松に在る。
高松市内の下調べは家内が担当なので私は言われた場所に、言われた通り、言われたままに行くだけなのだ。
栗林公園は戦国期に生駒氏が支配して造られたのを後に江戸期の松平氏が維持した庭園である。
松平氏?徳川ゆかりであろうが、高松の松平氏のことはあまり知らない。
広く整備された公園の池、築山、松林、借景の稲荷山のコントラストが見事である。
2・3年前に訪れた金沢の兼六園も見事な庭園であったが、名物の松が枯れていたり、弱っていたりして痛々しく思った記憶があるのだが、ここ栗林公園の松は余程手入れが好いのか、皆、元気で力強く茂っていのが素晴らしい。
riturin

屋島
遠くから眺める屋島の地形は日本にはめずらしい地形で、まるで樹木に覆われたエアーズロックの様に見えた。
ここは源平合戦ゆかりの地である。のだが私はこの頃の歴史に暗い。
ちょうど、明石へ向かう道すがら、渋滞の為に一般道に降りた時に須磨浦公園の前を通り過ぎようとしたら、何かの因縁か?平 敦盛の墓を車中から発見したので興味を注がれた。
昨年の大河「義経」もさほど熱心に観たとは言えないので、案内を見ても半分も理解出来ないが、精一杯知ったかぶりをする。
屋島寺へ参り、佐藤継信の墓へも参った。
展望台で眺める瀬戸内海の風景も格別でこの地は非常に見所も多く、源平合戦に詳しければ大いに楽しめるところだと思った。
yasimadannnoura

庵治
それまで炎天下の中、厭々親の道楽に付き合わされて不満顔の娘の表情が一変して笑顔が満ちてきた。
私は見ていないのだが、庵治は映画『世界の中心で、愛をさけぶ』のロケ地であるらしい。
娘の嬌声と「あっちへ行け!」「こっちへ行け!」と指図されながらひたすら忠実なアッシー君になりきり、娘に要求されるままロケ現場をバックに娘の姿をカメラに収めるのであった。
azi

この日はこれで風光明媚な高松の景色に満足して、宿泊地の琴平へ向かった。






Last updated  2006年08月22日 21時45分27秒
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2006年05月07日
カテゴリ:旅行
旅行の最終日である。
いつものように私達家族の旅行は貪欲で、内容が薄い。目一杯観光地を潰して行こうというようなプラン作りである。

宿泊したホテルはビジネスホテルである。
私がそうなのであるが、家族も少食?なので、旅館で泊まると夕食を半分以上残してしまうのである。したがって、食事抜きのホテルの方が気楽であったりする。
この日の朝、子供のリクエストでマクドナルドと決まっていた。ところがホテルの近辺に在るマックはどこも満席で行列もある。アンビリバボー!だ。名古屋恐るべし!
仕方なく駅のkioskでサンドイッチを購入し、ホテルで食べることにした。

名古屋城を目指す。
徳川御三家 尾張六十一万石。幕末の藩主は徳川慶勝で、会津藩 容保の兄でもある。
慶勝は幕末、長州出兵の際には征長総督に推されそうになったり、幕府の重鎮として難しい立場で苦労した。維新後は決して優遇されてはいなかったであろう。
nagoya

ホテルから名古屋城までの道すがら、だいぶ手前から掘割の名残が観られる。さすがに大藩の大規模な城下町を形成していたのだろう事が察せられる。
これほどの大規模な城が名古屋の中心に保存されている。規模はどうだろう?ついつい大坂城と比較してしまう。大坂城も名古屋城も共に平城であるが、天守閣の立地が大坂城のほうが高く盛られた石垣の高立地に在るので、四方に睨みが利いている。名古屋城はその意味では高さが無い。しかし城は立派である。象徴である金の鯱は下から観ても神々しく輝いているし、近づいて観ると姫路城に似てなくもない。

清洲城
kiyosu
信長の最初の居城とされているのだが、今、建つ清洲城は創作であるそうだ。
ここで購入した資料をサッと読んでみたが数奇の運命を辿った信長の生涯に興味が湧いた。
戦国期の本は幾らか読んだのであるが、信長自身を描いたものは無いのに気付いたので、近いうちに信長を掘り下げようと思った。

この後、名古屋の港のイタリア村や南極観測船「ふじ」・水族館を見物し、午後8時前に帰途についた。
フジ
イルカ
道中は夜遅くまで渋滞していて、帰宅したのは12時前であった。
昨年・一昨年はこれほど渋滞した記憶は無いのだが、今年のGWは訪問先のせいか、いつに無くどこも混雑・渋滞で辟易した。
これは景気が上向き、消費意欲が活発になったという事なのかも知れない。








Last updated  2006年05月09日 13時10分13秒
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2006年05月06日
カテゴリ:旅行
ホテルには大浴場があるので息子達と朝風呂を頂く。
風呂上りにビールも頂いた。旅の醍醐味はこうだ!

腹一杯朝食を摂り出発する。

岐阜城
岐阜城
以前は稲葉山城と呼ばれていたのだが、織田信長が斉藤氏を滅ぼしこの稲葉山城を岐阜城と命名した。
急峻な高台に聳える稲葉山城攻めは難渋した。秀吉は山中に住む少年を道案内に山頂の間道を見付け、稲葉山落城に成功した。その時の少年が堀尾茂助で、後に浜松城主にまで出世する。
関が原の合戦前の徳川方の軍議で山内一豊が我が居城掛川城を家康に差し出すと提案し、家康の好感を得て土佐26万石の城主に出世するきっかけとしたのは、堀尾の息子との話の中で堀尾の息子の存念を一豊がパクッたのである。
戦国の世は恐ろしいもので、どのような出自のものがどれだけ出世するかわからない。もちろん秀吉がその際たるものではあるが、一つのきっかけが未来永劫の安楽を得る機会になることもあるのである。
現代のような格差社会と言われる世の中で可能だろうか?そう考えると戦国の世の面白味が羨ましくもあり、薄っぺらいようにも思える。

岐阜城は風格がある。長良川沿いに車で岐阜に近づくとかなり遠方からも岐阜城を見つけることができる。城の象徴のような山城である。
城で麓を睥睨しておれば、天下取りの欲求がフツフツと沸いてくるのが解かるような気がするのだ。

金華山の麓には信長の居館跡や明治天皇像がある。
初めて知ったが、板垣退助はここで襲われた。「板垣死すとも、自由は死せず」という有名な言葉はここでのことであるのだ。
板垣


次に「明治村」を目指した。のだが、手前3kmほどの所まで来ると、車がピクリとも進まない。明治村入場者による渋滞である。一本道の先を凝視しているのだが、全く動かない。
諦めた。

犬山城を目指した。
ここも駐車場に入るまでにかなり待たされが、諦めるわけにはいかない。
結局午後3時にやっと車から降りることが出来たので、先ずは食事である。
味噌カツが食べたかったので、城の近くの食堂へ行くことにした。午後3時にも関わらず順番待ちでかなり待たされ、ハラペコである。やっと席に着き、注文をしてからさらに長い時間待たされた。挙句に注文したのと違うものが来たので指摘すると、店員は「それが注文の品だ」という。
切れた!「オイ!ええ加減なこと言うなよ!」と言ってやった。
そそくさと注文の品を持って来たのだが、謝罪の言葉も無い。店主が不在なのかどうか知らないが、間の抜けた店員が平気な態度でおる。
頭に血が昇った!すると子供達の方が私をなだめるのである。家内も納まらない様子であったが、子供たちに諌められれば怒るわけにはいかないので、しぶしぶ従った。
観光地の飲食店には時折この手の店がある。それによって気分が台無しになることがある。今回は我が子供達のおかげで救われた気分になったが、もっと気を付けて欲しいものだ。

気分を変えて犬山城を目指した。城の前に石碑が在る。
「薩摩義士之碑」長良川改修に全力を尽くした平田靱負などを顕彰している。
薩摩義士


国宝 犬山城
犬山城
日本に国宝の城は4つある。姫路城・彦根城・犬山城・松本城である。私が残す未見の国宝の城は松本城だけになった。
その意味でも犬山城に来れたことが嬉しかったのである。年代を重ねた日本人の技術の集積である城が観られて幸せなのである。
石垣の苔、黒くくすんだ柱や梁をみると気持ちが満たされてくる。城好きの神経を刺激してくれるのである。
もちろん天守からの眺めも最高で天気と共に晴れ晴れとしてくる。

この日の宿泊地は名古屋である。
途中、小牧城を横に観ながら、ホテルへと急いだ。
名古屋駅前のホテルは新しく綺麗でここも家族は喜んでくれた。

夕食を駅前のビルの飲食店街へ行ったのだが、大阪に住む私達を驚かせるくらいに大勢の人で賑わっていて、どこの店も行列である。
ここ数年大阪は景気が悪く、一向に良くなったという実感が無い。
しかし、ここ名古屋は景気が良いという空気が横溢している。
地域的な格差も存在するのではないかと思うのであるが、この場合の格差は地方ということで、大阪は当てはまらないかも知れないが、ここ名古屋の活気が羨ましく思うのである。






Last updated  2006年05月08日 11時31分19秒
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カテゴリ:旅行
ゴールデンウィークである。家族持ちの私は家でダラダラという訳にはいかない。
しかしながら予定も立たず、日ばかりが迫り半分諦めかけていたのだが、何とか宿泊先の予約も出来て出発に漕ぎ着けた。

今回も史跡めぐりがメインになってしまう。昨年のGWは岡山、前々年は会津の史跡めぐりであった。
娘も中学3年になって自我が芽生え、親の言うことに従順にならなくなっている。それをさほど興味も無い史跡めぐりに素直に付いて来なくなるだろう時期であるが、今回は付いて来た。

今年は岐阜・名古屋を旅することにした。
今年のNHKの大河ドラマは「功名が辻」でそれに倣ってという訳では無いのだが、結果そういうことになってしまった。一昨年の会津の旅も大河「新撰組!」の年であったのでやはりミーハーのオッカケなのかも知れない。

午前8時過ぎ ゆっくり出掛けたのがいけなかった。渋滞が甚だしい。
最初の目的地 関が原に着いたのは午後12時ころだった。

歴史は好きなのだが、時代限定で幕末が好きで、他は戦国・第二次世界大戦の本をよく読んだくらいだ。が、実際に戦国時代の史跡に立って記憶を辿るのだが、怪しいものである。
石田三成陣跡の笹尾山で色々な表示物を観て「あぁ!そや!そや!」「そうかぁ!そうやったんやぁ~」と思い出すのである。ある意味 実地の復習と考えればよいのだが、あまりに頼り無い記憶力に情けなくなったりする。

天下分け目の合戦がこの地であった。
北国街道・中仙道・伊勢街道が合流する関が原は想像よりも狭いと思った。小高い山が迫り、笹尾山・桃配山が対峙するように在る。松尾山は横から睨む様に在り、南宮山は桃配山を背後から襲うように在る。この地形で徳川方の陣形を観ると決死である。石田方は必勝であろう。
毛利の不動と小早川の裏切りが無ければ、明らかに徳川は負けていただろう。
戦さは戦力・陣形だけで無いのが良く解かった。

空撮

根回しと調略が裏切りを生み、作戦が覆るのであろう。
笹尾山に登りながら、三成がこの山を登ったり、降りたりする姿。島津隊が一直線に家康の陣に突っ込んで行く様を想像すると、歴史を知り、その場に立つのが如何に楽しいかを実感させてくれる。

三成陣地 笹尾山
笹尾山
歴史民俗資料館で沢山の資料やDVDを購入し、近辺の史跡を観て回った。

次の訪問地は迷ったのだが、思い切って郡上八幡まで足を伸ばすことにし、車を走らせたのだがまたもや渋滞がはげしい。

郡上八幡に着いたのは午後5時前。昼食もまだである。
とにかく食事を!ということで、飛騨牛ステーキを食した。やわらかい、とろける、美味である。腹と気持ちが落ち着いた。

郡上八幡城へ向かったが、すでに閉館時間を過ぎていたのである。
山内 一豊の妻「千代」は郡上八幡城主 遠藤 慶隆の二女 と言う事で、この地では「千代」の里をキャッチフレーズにしている。
司馬作品「功名が辻」の千代との出目とは違うようだが、千代自身の出生が不確かなようで、内助の功や、鏡の裏に隠した十両も諸説があって、架空の話も多々あるということなので、深く追求しようとも思わない。
千代

郡上八幡は山間の城下町という森閑とした落ち着いた風情が素晴らしい。四方を山で囲まれ、川の合流点の小高い丘に立つ郡上八幡城の景観がとても好風景である。街のそこ、ここから湧き出る自然水に舌鼓を打ちながら歩くと都会では味わえない安らぎを感じるのである。

夕映えの郡上八幡城
郡上城


この日の宿泊地は岐阜なのでゆっくりしていられない。車を急がせる。
ぎりぎりに予約した岐阜グランドホテルだったが、恐らく岐阜では最高のホテルのようで、皇室の方々も宿泊されているようだ。
家族もホテルの雰囲気に大満足のようで私も安心した。






Last updated  2006年05月06日 15時34分35秒
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2006年04月22日
カテゴリ:旅行
青森からネット友達のYさんが来られた。
今回はYさんが習っている居合の奉納の為、奈良の天河村まで来られたのだ。
関西在住のNさんとお出迎え。とは言えNさんは先にYさんと居合奉納に付き合われたためにすでに合流されていた。
この日は以前に弘前でお世話になったお返しに京都案内をさせて頂く事にした。
Yさん、Nさんとは歴史を趣味とするBBSで知り合ったので、京都の史跡案内などと色々思案したが、季節が花見時期ということもあって、今回は花見ができる寺を案内することにした。
午前に近鉄京都駅で再会、バスで龍安寺を目指した。
久しぶりに会うYさんだが違和感無く会話が弾む、趣味が共通すると隔たり無く話が出来て安心なのである。

龍安寺
龍安寺
正門から一歩足を踏み入れると見事に桜や様々な花が咲誇っている。
龍安寺は石庭で有名である。この日は平日にも関わらず大勢の観光客で賑わっている。外国人の姿が目立つが彼らはこの石庭にどのような魅力を感じているのだろうか?
細川勝元により創建された550年以上経つ寺は広大な寺域の隅々まで整備され、方々に見所がある。
全体の配置や借景なども立ち止まる位置、位置で調和した景色が眺められ、まさに絶景である。

仁和寺
仁和寺
昨年の秋ごろに初めてこの仁和寺に来て、春の御室桜のことを知った。今年の花見は是非ともここ!と決めていた。御室桜はもっとも遅咲きなので私は八重のような桜だと思っていたのだが、花はソメイヨシノを大ぶりにしたような花だった。まさに満開で訪れる人の気持ちを高揚させる。桜のピンクは日本人の心の琴線を刺激するに充分の効用があるように思う。

妙心寺
大通院
ここへ来たのは3度目か4度目だと思う。広大な寺域を誇っている。
臨済宗 大本山 妙心寺 風格がある。多くの塔中を構え、中でも今年の大河ドラマ「功名が辻」の千代が一豊の死後、土佐には住みつかず、この妙心寺で余生を送った寺もある。
それぞれの塔中には多くの戦国武将とのゆかりがあり、時の栄華も感じさせるのであるが、やはり妙心寺と言えば「雲龍図」である。法堂の天井に描かれた八方睨みの龍の絵は腹の底に訴えるような迫力がある。
見学者の中に外国人がいて、撮影禁止の雲龍図をパチリ・パチリとフラッシュを焚いて撮影しとる!「おい!ここは治外法権ちゃうねんぞ!ルールを守れ!」と、言ってやりはしなかったが、「俺も写真撮りたいねんぞ!」と呟いた。

退蔵院
退蔵院
妙心寺の塔中の一つだが、ここの庭園は素晴らしい。
受付で入場料を払い、庭園の入口に立つ。枝垂れ桜が満開でたとえ様も無い美しさで迎えてくれた。
ここの庭園の美しさはいうまでも無いのだが、水琴窟・鹿威(ししおどし)があって音でも楽しませてくれる。

やはり京都は日本人の心を癒し、日常とは別の空間に導き、安らぎを与えてくれる。

その後、我々はバスで四条まで移動し、四条から二条にかけての幕末の史跡を見物し、幕末居酒屋なるところで本日の反省会を行った。
趣味が共通する3人には話題が尽きず、日頃はそれぞれ全く別の環境に居り、なかでもYさんとは3年ぶりに会ったのにも関わらず、和やかに、淀みなく、楽しく会話が進むのである。
こういう時間が持てるのは非常に有意義であり、ストレスの解消にもなる。人間は年齢を重ねるごとにストレスも溜め込みがちだが、余計なストレスはこういった機会に一気に吐き出し、捨て去ってしまえば良い。

この日も至福のひとときを持ち、大いに気持ちが軽くなった。

Yさん 青森は遠いですが、また、関西においで下さい。






Last updated  2006年04月22日 13時02分16秒
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2006年01月25日
カテゴリ:旅行
2006年01月10日
昨年の12月4日に呉の大和ミュージアムと尾道の映画のロケ跡を見て来た。その時に購入した「男たちのYAMATO」の原作本を今読んでいる。仕事の合間に読んでいるので1ヶ月以上経ってもまだ上巻が終わらない。

文中 昭和20年3月 呉に空襲があった。その時民間人は「松葉いぶし」戦法に出たそうだ。何だろうこの「松葉いぶし」とは?非戦闘員の民間人は日頃から敵機来襲に備え松葉を道端などに隠して置き、敵のグラマンと合間見えるや松葉に火をかけ、その燻った煙で敵の目を眩ませるという戦法だという。
呉でその時に購入した本で「戦艦大和復元プロジェクト」は先日読了した。その中には戦艦大和は特攻のさきがけとなって沖縄へ向かって撃沈した。神風特攻隊等の航空機・人間魚雷による特攻は志願した者がなり、それによる戦死は二階級特進される。しかし、戦艦大和の三千名を超える乗組員は志願したわけでも無く、戦死者の二階級特進も無かった。

この時期の日本人は全くどうにかなってしまっている。政府や戦争指導部は妄想の中にいるようだし、情報から隔絶された民間人は無知蒙昧で鎖国社会に逆戻りしたようである。


映画はまだ観ていないが必ず観るつもりである。
しかし心配な事は映画鑑賞中に恐らく泣いてしまうだろうと言う事。息子と行こうか?家内と行こうか?独りで行こうか?いずれにしても躊躇してしまう。若い頃(10代後半~30代の頃)に涙を流すなんて事はほとんど無かったのに近頃はどうも涙もろくなってしまった。始末の悪い事に私の場合、高倉 健さんのように格好良く泣けなくて、顔を思いっきり歪めて嗚咽を洩らしながら泣いてしまう。人が泣いている場面に出くわすと一緒になって泣いてしまう。実に情けないと思っている






Last updated  2006年01月25日 18時37分03秒
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