昨日 仕事を途中下車して
母の般若心経入りの腕輪を返納しに
吉野の脳天さんへ 行ってきました
久しぶりでありました
眼に優しい新緑が広がっていました
秋の紅葉も 綺麗です
そして いつも行く園芸屋さんにも行ってきました
「いわれていた 白い花 ありますよ」と声をかけられました
私め 前回立ち寄ったときに そういうことをいったのだそうであります
重ねて「この花が入ったとき お客さんのことを思い出しました」
表現は その通りではありませんが
わかりやすく共通語に翻訳すると 上記の通り
そうまでいわれては 買わないわけには行きません
昨日は 明るい花をと思っていたのですが
人生というものは そんなに 自分の思い通りにはいかないものですねえ(右京さん風)
今日 5月21日は 亡き愛犬リーさんが死んで 丸3年の日です
この花だけじゃ 悲しすぎる
そこで 実のついたサクランボ(桜桃)の苗を一緒に買いました
でも もう植える場所ありません
今は亡き苑長の発案で 認知症の母を慰めるために
小犬を母の元へ ということになって
私が リーさんを獣医さんからもらい受け
リーさんに 大役を押しつけてしまいました
今は 私以外は あの世の住人です
それにしても 亡き愛犬リーさんは
大変 賢く 情愛の深い犬でした
今日は
年を重ねるということは 喪失感を重ねていくことだ
という言葉が 心に染みる一日になりそうです