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テーマ:たわごと(26728)
カテゴリ:幼少年期
「こんにゃくは、金玉の砂落としっていうくらいだから体にいいんだ。どんどん食べないと。」
小学校低学年の頃だろうか、ある晩食卓でおでんのこんにゃくを食べていたら、現職警察官の父がいたって真面目にそう言う。まさしく、これは母に対してではなく、3学年上の兄と私への強いメッセージと受け止めた。 父は、今は結構オジイギャグを飛ばしたりするが、当時はカチカチの父親を演じていた。たまに、拳銃を持ってかえったりもする。両親の発言は、有無を言わせず全て正しいと思えたころの話で、しっかりと頭にインプットされてしまった。だが、金玉から砂が落ちると何にいいのだろうか、などいう疑問まで頭が回らない年頃のことだった。 このときからだ、金玉の中身の一部は砂だったんだと思い込んだのは。しかし、開けて見るのも痛そうだ。 こういう訳の分からない発言は、時としてその後の人生を大きく左右することもある。子供のときの布製の海水パンツはだらんとしていて、海で泳いでいるときなど中に砂がよく入った。あまりに入って脱げそうにもなったりする。そんなときは、これ以上金玉に砂が入っては困ると大慌てになる。一生懸命横を開いて海水で洗ったものだ。 昨夜、群馬のこんにゃくを一人で食べながら、ふと父の実直な発言を思い出してしまった。オランダ系の連れ合いは出張中で居なかったが、たとえ居たとしてもこのことは言えない。 日本人の腸は西洋人より長い、と発言したときと同様、「本当に日本人はバカなことを言う。」と一蹴されるのが関の山。 2月に帰国する。85歳の父に、あの発言の真意を問い質してみよう。しかし、たとえ真意が分かったとしても、慈しみ培われた56年の玉の記憶が上書きされるわけではないが。 下の箱をポチッとクリックお願いいたします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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