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テーマ:旅のあれこれ(10270)
カテゴリ:忘れられない人々
「M専務のカバン持ちかなんかでチャラチャラ来やがって。」
インドバンガロールの高級ホテル「アショカホテル」の中庭で、皆でビールを飲んでいたときに直属の上司N課長からそう吐き捨てるように言われた。1983年の3月のことだった。 私は当時、勤めていた建設機械メーカー「オーマツ」のインド担当。N課長は大きなプロジェクトでインド出張中だった。たまたまオーマツの子会社のM専務をアテンドしていた私は、N課長とバンガロールでかち合うことになってしまった。 M専務は業界の重鎮でインドにも詳しく、アショカホテルに到着したときにホテル側からVIP待遇で迎えられた。そして、そのお伴ということだけで、私も同じ待遇を受けた。眉間にビンディーという赤い印を付けられた。宗教的な意味があるという。 N課長が手掛けていたプロジェクトは、当然担当であった私も一緒にやっていたのだが、この時はM専務のお伴だったので、あたかも全く関係ないような形になってしまっていて、私は居心地が悪かった。実はこの時、このプロジェクトが頓挫してしまいそうな大変な時期だったのだ。そんな時に、私が別件で来て楽しそうにしていたのでN課長が切れてしまった。私だって、好き好んでそんな立場に立った訳ではなかったのだが。 私は、課長がこの一言を発して席を立った後、不覚にも泣いてしまった。M専務とはタイへ行ってからのインドだったので、偉い方のアテンドで緊張もあり疲れていたのだろうか。後で知ったのだが、課長はネゴがうまくいかずノイローゼ気味で、ホテルの部屋でも何をしでかすか心配なので、インド人の現地スタッフが付き添っていたくらいだったそうだ。私は、とんだところに出向いてしまったようだった。 この時、サラリーマンの悲哀と不条理を嫌というほど体感してしまった。自分の中で糸がプツンと切れてしまったように思えた。それほど太い糸ではなかったのだろうが。その思いはその後増殖し続けた。 という訳で、翌年私はサラリーマンを自ら降りて、本当に糸が切れた「たこ」のように赤道を越えてオーストラリアくんだりまで来てしまった。あの眉間のビンディーはそれからの人生の後押しになってくれたような気がする。 タコ社長を漢字で書くと「凧社長」なのかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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