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タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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タコ社長1952

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2010年02月27日
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テーマ:たわごと(26839)
カテゴリ:カテゴリ未分類
小学校の卒業文集に将来の自分は何になりたいかと書くコーナーがあって、私は「ジャパニーズ、ビートルズ」と書いた。

ビートルズが日本に来たのは、1966年6月末。その日大きな台風が来ていて、学校から帰れなくなった。

オーストラリアに来たのはその2年も前。1964年の6月。ただ、この時リンゴが扁桃腺で来られず、その代役としてジミー・ニコルというドラマーが来た。途中で元気になったリンゴと交代する。彼はメルボルンの飛行場から1人イギリスに帰った。どんな心境だったのだろうか。こちらのその時の映像を見ると、ジミーが必ず写っている。

以前、こちらの運送会社の広告写真撮影があり、オーディションで社長役になったことがあった。数多いる日本人などは、私の会社のスタッフなども皆一日100ドルの日当だったが、社長役は1000ドルだった。皆は作業服、私はスーツ姿。やっているときは、なんだか本当にその会社の社長のような気分で高揚する。撮影が終わって、普段着に着替えると、また元のタコ社長にもどって拍子抜けした。ジミーはそんなもんじゃなかっただろう。あの世界のビートルズの代役だった。

このジミーが、1966年に日本に来ていたのだ。また代役とかじゃなかった。あの、スエーデンのバンドで一世風靡した「スプートニックス」のドラマーとしてだった。それは、それなりに彼にとっては絶頂の経験だったろう。しかし、その後は苦労の連続だったようで、経済的にも苦労したようだ。

後にジミーは回顧している。あの経験は、自分の人生の中で最悪の経験だったと。すべて、リンゴの扁桃腺のお陰だった。今、ジミーはイギリスで誰にも知られず隠れるようにして生きているらしい。

私の場合は、ジャパニーズ、ビートルズは実現せず、せいぜい髪を同じようにしたくらいで終わった。


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Last updated  2010年02月27日 21時13分41秒
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