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カテゴリ:忘れられない人々
私の日本とフィリピンとの出会いを思い出してみた。
子どものとき、ビンボー・ダナオというジャズ歌手がいた。口ひげを生やした愛嬌のある顔をした芸能人だった。日本の女優、淡路恵子と結婚していた。結構、日本語も話すフィリピン人だった。名前が変わっていたので、忘れられない。 六本木の、今はなき「クラブマキシム」の出稼ぎ歌手をしていたミルナがいた。見るなといわれても魅入ってしまう美貌の持ち主だった。彼女の歌う「ニューヨーク・ニューヨーク」は、その小柄な体からは想像できないほどの声量のある豪快なものだった。因みに、彼女とは食事に何度か行った程度の仲だったが、フィリピンに病気の父がいるのと言われ、嘘ではないかと疑いつつも安月給から私にとっては大金を工面したことが、彼女の歌と共に忘れられない思い出になっている。1980年代初めの頃の話だ。 昨年の7月にベトナムに旅行した時投宿したホテルで毎晩3人のバンドが演奏してくれていた。フィリピンからだった。「上を向いて歩こう」をリクエストしたら、笑顔で歌ってくれた。ずっとベトナムに住んでいるという。 現在、フィリピンからの外国への海外就労者は1,000万人を超えるそうだ。今は、医師、看護婦、薬剤師、エンジニア、会計士なども多くなっているという。小さいときから、陽気に歌ったり踊ったりする人が多い国だから、芸能関係の人も多くいる。何せ、ある調査では、幸せ度世界第7位の国だ。 海外在住のこれらフィリピン人は、多くの人が本国に送金しているという。そして、これがフィリピン経済へ大きく貢献している。 遠い昔の話だが、私もミルナを通して、若干の貢献ができたのかも知れない。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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