テーマ:毎日、一歩一歩。(2526)
カテゴリ:ゆみの一歩一歩<何気ない日常の中で>
家が壊れたと共に、ゆみちゃんも・・・ もしかして壊れちゃった? こんなに日記を書かなかったのは初めて。 なので、皆様に大変なご心配をかけて ごめんなさい。 「悲しくなって、コメントできない」って言う方を始め、ゆみの心情をゆみ以上に察してくださる数々の言葉に本当に感謝して日々を過ごしました。 ダイジョウブです。ゆみは元気・・・。 実はいろいろ考えてしまうと、日記になんにも書けなくなってしまっていたのです。 両親の家を壊して、その土地を売りに出して、娘の家に一緒に住む・・・ それって幸せなことでしょう?・・・って。 世の中には、もともとお家が無い人もいる。 天災や火災や諸事情で何もかも一度に失ってしまった方も居る。 大人になるまで両親が揃ってるだけでも、感謝すべきことだし、一緒に暮らせるなんて贅沢。 そう考えたら、ちょっと日記になにをどう書いたらいいかわからなくなってね、 止まってしまいました。 確かにそうです。・・・ゆみは別にその状況が不幸だとか、辛いとか思ってるわけじゃない。 ただね、いざ壊すとなったら、やっぱり両親の心が痛んでるのがよくわかったし、 自分自身も、ゆみの青春が手付かずの家に入ってみて、 これからすべてのものがゴミになって、捨てられていくのだ・・・と思ったとき、 やっぱりちょっと切なかった。 だから、これはゆみの日記だから、やっぱり思いは書いていこうと思うよ。 甘い、とか、贅沢、とか、思う方もいらっしゃると思いますが。書かせてね。 想い出は、4tトラック5台分。 時間との勝負という感じで、一人で実家に潜入して、徹夜でモノを見ました。 明日には、これがゴミになる。 ゆみに出来ることは、ただもう、見てあげること。 自分の生まれたときからの年表をアットランダムに開くように、 あっちこっちから飛び出す自分の足跡に、感心したり、呆れたり。思わず隠したり? モノによって、自分が何者かがわかっていく夜。 貴重な体験をしたと思います。 両親が、とっておいてくれてたもの、自分が、とっておいた宝物。 それは、とっておいたというよりは、呆れるほどに、まるっきりそのままに残されていました。 まったく一人の夜中。一人の片付け。 ここに、一緒に想い出に浸ったり、懐かしい時代を思い出したりできる人が、 居てくれたならどんなに楽しいだろうと思いつつ、もくもくとゆみは作業に没頭しました。 自分の家に持っていけるもの、それは限られたわずかのもので、 救い出したのは思い出ではなく、これからも使える新品のものだったり、 次世代の人たちのものだったり。 自分の思い出は、見てあげたら置いてくるしかなく、しかもとても全部は見きれない。 カメラ片手に・・・そうだ、日記に載せよう!と、途中から意欲も出てきて、 昔の雑誌の表紙を並べて撮ったり、アイドルのスクラップ帳や、レコードや映画のパンフ、 そして、すべてとってあるかと思うほどたくさんのゆみの絵、 それをカメラに収めて、もう一度自分自身が見れたことに感謝した。 その写真は、日記に載せて書くね。 懐かしい時代を、一緒に楽しんだり、ゆみちゃんて実はオタク~?と笑ってくださいな。 一睡もしないままに迎えた朝。 約束の九時より前に、解体屋さんが6人でどやどややってきた。 「わあ、こりゃ、すごいゴミの山だなあ。。。」 そうだ。解体屋さんは、思い出処理屋さんじゃない。あくまでそこにあるものはゴミなんだ。 「もういいですかね。始めますよ。」午前中に電気やガスや水道のすべてが止まる。 10分も立たないうちに、ゴミ出しの作業は始まる。 4tトラックに、まず始めに投げられていったのは、食器たちだった。 「ガチャーン」「ガチャーン」と投げられていく瀬戸物やガラス。 自分の家の二階から、それを見ているゆみ。 そして決して見ないようにしている母。出来れば耳もふさぎたかったのだろう。 「あんな音がしたら、近所にご迷惑よねえ。」という母の言葉が、「何もあんなにしなくても」 と、聞こえてくる。 一個一個積んでたら時間もないし場所もとる。 だから、食器はトラックの壁に投げつけられて、粉々に細かく砕かれていく。 時間と場所があったら、近所の人に自由に持っていってもらえたりできたのに。 そうやって、モノがゴミになっていく様が、目の前で三日間繰り広げられ、 とうとうがらんどうの家が残った。 すべて、まだ住める状態でおいてきたダイニングセットや、婚礼家具や、 着物のいっぱい入った桐のたんすや、すべてのものは・・・ 二階からトラックに投げ込まれ、時に衣類や、母の書道の作品達が宙を舞うのを見た。 捨ててくるしかなかったものたち。その一生を全うできたのかな。 ゆみの部屋から、母の部屋になった二階の洋室。増築部分だからまだきれいだ。 懐かしいシャンデリア。 照明器具はすべてそのまま置いて来た。 写真に写ってるマリア様がイエスを抱いている絵は、 大学在学中に人生の岐路を決断したゆみにマスール(シスターの意)が贈ってくれたもので、 これは持ってきた。 この部屋で、友達と勉強した。友達が泊まりこんで、一晩中話した。4人泊まったときもあった。 そしてこれは置いて来た。 なんだかわかりますか? お琴です。。。 そう、ゆみはピアノやバレエの他に筝曲もやっていました。 高校のときには、新宿の安田生命ホールで、[六段]を演奏したりしました。 どこかに写真があったらよかったんですけど。。。 20代前半の頃には、お正月にはお着物で、家でも演奏会やっていました。 なぜお琴を弾いたかと言えば、家にあったからで、小さい頃母に弾いてもらってから、 その音色に魅せられて自分も習いたいと思ったから。 でも今の家には和室もないし、10年以上ほったらかしで、弦は張りなおさないといけない。 何より、もう弾く人が居ないから置いて来た。 黙って玄関に置いてきたら、いつの間にかキッチンに移動して、運び出されはしなかった。 これから家と運命を共にする。 応接間にはこんなものを置いて来た。 大理石の付いたテーブルは、重くて持てないし、こんな大きさのものは 誰の部屋にももう置けなかった。 そして椅子。天然木。大きさは充分ゆみのお尻も余裕で入る。 折りたたみも出来るし、取り外しのきくテーブル付き。 できることなら助けたい。でも今使わないものは運べない。 だけど・・・ 心残りだったゆみは、最後の最後に、助けに行った。 「誰かにあげるから・・・持ってきてもいい?」 今欲しい人が居るならいいけど・・・。 「きっと居るよー!」ってことで救出! どなたか欲しい方は居ませんか?車でお届けできる範囲の方ならもちろん無料で。 遠くの方なら送料のみで。。。 大事にしてたから、新品同様。ミッフィー付き。大きくてしっかりだから長く使えます! ゆみさん、本気のお願い。 ってことで、お知らせも兼ねた日記、久々長いふんどし日記になってしまいました。 また元気に頑張ります。 さて、ゆみの部屋から出てきたノスタルジーーーーなモノの数々。 夜中に写真に撮ったモノたち、これからの日記を楽しみにしていてくださいね。 一緒に懐かしめるものが登場するかも。。。 人気blogランキングへ 追伸→がらんどうのお家本体は、まだなぜか建っているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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