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カテゴリ:マスメディア
伝言ゲームは遊びだけではない。普段私たちが聞いたり読んだりするニュースや記事も、良く調べれば大半は伝言ゲームに過ぎない。
中国で反日機運が高まりデモ隊の一部が暴徒化したニュースは、ここカナダでも大きく報じられている。カナダは全国紙といっても2紙しかなく、それも発行部数は大したことはないが、一番有力な新聞は総じて日本に好意的な基調で見ている。もう1紙は報道量も少ない上に、出てきた記事は中国寄りで、大戦時の蛮行につき日本はアジア諸国に謝罪したことがないなどと事実無根の小見出しまで付けている。書いているのはニューヨークにいる記者だ。記事を書くのは自由だし、書いた記事を発表するのも自由だが、自由には責任が伴うのではないだろうか。しかし、いろいろな記事を読んでみると、責任感が欠如しているとしか思えないものが少なくない。 多くの記事が日本の検定教科書についても触れている。しかし、実際その教科書を調べた記者が世界にどれだけいるだろうか。ほぼ皆無だろう。日本語が読めないのだから。それなのにあたかも知っているかのように、「日本の教科書は日本の大陸侵攻を侵略と認めていない」と書く。それが事実であれば結果的には問題ないかも知れないが、直接裏を取っていないことを平気で書く。日本なんて世界にはまだ良く知られていないことも多いので、外国で読む日本関連報道は日本人が読んだら「???」というのも少なくない。勿論、私たち日本人が気付かない視点を教えてくれることもあるが、それは事実に反する報道を正当化する理由にはならない。日本のマスコミは外国のマスコミから「官製報道」と随分揶揄(やゆ)されているが、事実誤認にかけては外国のマスコミの方が上だろう。日本人の名前が謝って報道されるのはしょっちゅうだし、それを何とも思っていない。 記者が忙しいのは分かる。だが、ちょっと調べれば分かることを電話一本で済ませようとし、時間がなければ一方だけの言い分を聞いて記事にしてしまう。さすがにそんな記事は海外でも褒められたものではない。 誤解されているかも知れないが、世界に共通なジャーナリズムなんてない。日本には日本のジャーナリズムがあり、米国には米国のジャーナリズムがある。イタリアのジャーナリズムは、唯一のものはないかも知れない。百人いれば千の意見が出る国だ。イタリアでは一般に、事実だけ書くことはジャーナリズムとは見なされていない。新聞やテレビでも政党色が色濃く出るものもあり、そこで働く記者の中には「政治色のない記者は意見のない記者と同じだ」と豪語する者もいる。こういう確信犯が書く記事は最初から結論が見えている。イタリアではそういうものだから、別にそれがおかしいということにはならない。 話が大きく逸れてしまったが、要は新聞やテレビも根拠を調べずに伝言ゲームで回っているニュースを拾ったものが多いということ。だからこそ情報源は複数、それもできるだけ違った種類の情報源を持っていた方が安全だ。というか、騙される可能性が少しでも減る。日本のニュースとて良く誤報がある。恐らく、記事に書かれていることの専門家から見たら、正確でない部分、バランスを欠いた部分がかなりあると思う。ただ、記者は専門知識では専門家に勝てないし、限られた時間で限られた字数で伝えなければならないから、制約が大きい点は差し引いて考える必要はあるだろう。 伝言ゲーム。インターネット上の伝言ゲームは大丈夫だろうか。騙されるリスクはいつでもどこにでもあるから気を付けよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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