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カテゴリ:三国風…僧侶の仕事の話
K女子大の帰路、2月に連絡のあった中学の同級生の親父さんが「話がしたい」というので、その同級生の自宅によって帰宅。
30年ぶりに行ってみると…路に迷うものだねぇ。。。 親父さん、亡父と同様に末期ガンですでにかなり進んでいる様子だったが、とにかく葬儀と後のことについて不安を払拭したかったらしい。 「寺院の檀家にはなりたくないが、葬儀はして欲しい」という希望の人が最近増えているが、この親父さんもそうである。実家は福島のK市で仏壇屋だったということなので、寺院の内情もよく知っているからなのだろうか。少なくとも、葬儀の費用やその後の費用のことなど、経済的な負担を残された家族に与えないようにと深慮してのことだということは、今日の話を聞いてはっきりした。 檀務でもっている寺院は檀家を基本的な収入源としているから、何かあると檀家に費用負担がかかってしまうのは致し方ない。これを否定すると、寺院そのものが成り立っていかないのだが、その一方、檀家であることに苦痛を感じるひとびともいる。 僧侶としては、判断の難しいところである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.08.31 22:22:11
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