カテゴリ:民衆の歴史
マリア信仰の形成(1)
キリスト教は一神教です。ですから、イエス・キリストは神ではなく、神の子イエスとされます。神父さんの唱えるお題目も、「父と子と精霊の御名(みな)において…」となります。三位一体とは、この父なる神、その子イエス、そして精霊の3者を指します。 この3者に入らないのですが、神の子イエスを身ごもり、その産みの母となったマリアも、いつの頃からか、信仰の対象となりました。私のブログをご覧くださっている皆さんも、イエスの母なるマリアのことはご存知でしょう。 ヴァチカンの顔、サン・ピエトロ大聖堂の入口にある、若き日のミケランジェロの傑作「ピエタの像」のイエスの亡骸を抱きかかえたマリア像、レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」、そしてラファエロの「聖家族」を描いた一連の作品など、マリアを対象とした絵画や彫刻は、無数といってよいほど存在します。 結果として、イエスの母は、聖母マリアとして崇拝され、今では信仰の対象とすらされていると言っても、過言ではありません。私が小学校時代に、NHKのラジオ歌謡で覚え、今でも愛唱している歌に、岡本敦夫が歌った「チャペルの鐘」があります。1番の歌詞は、 「なつかしの アカシアの小道は 白いチャペルに続く道 若き憂い 胸に秘めて アヴェ・マリア 夕日に歌えば 白いチャペルの あーあ 白いチャペルの 鐘が鳴る」となっています。 日本の各地に、マリア像があり、マリア聖堂も1,2に留まらないことも、ご存知の通りです。 ところで、キリスト教の聖典である『新約聖書』西暦1世紀の末頃にかけて、約50年ほどの歳月をかけて、徐々に書き加えられて完成されたものと、考えられているのですが、この『新約聖書』では、母なるマリアは、全くと言っていいほど、存在感がないのです。ほとんど叙述されていないのですから。キリスト教信仰の形成期には、マリアは後世のような存在感を持っていなかったのです。 マリア伝説の殆どは、後世になって作られたものです。では、マリア崇拝やマリア信仰とされるものは、いつ頃、どのような形で、どのような必要から生まれたのでしょうか。数回にわたってこの問題を、記していきたいと思います。お付き合いのほど、よろしくお願いします。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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