カテゴリ:外国史
19世紀のアメリカ(77)
第3章 南北戦争と再建…3 北西部から分離した中西部の住民達には、オレゴンへの移住熱が高かったことは、第2章に記しました。そうした中西部から太平洋への道、それも可能な限り速い道をどのように開拓するか。それが北西部並びに中西部出身の上院議員にとっては、大きな課題でした。イリノイ州選出の上院議員ダグラスは、そこにカリフォルニアと中西部を鉄道で結ぶ、大陸横断鉄道の建設構想をぶつけたのです。 西へ』西への拡大要求は、何も南部だけの要求ではなかったのです。1853年ダクラスは、ネブラスカに準州を組織する法案を議会に提出しました。ネブラスカは北緯36度30分の北にありますから、1820年のミズーリ協定の線に即して、当然そこには奴隷州は建設できません。 それ故に、自由州の優越を嫌う南部出身の議員たちは、ネブラスカの近い将来における州昇格に道を開く、準州組織法案を潰そうと図ります。一方、可能な限り早く大陸横断鉄道の建設を具体化したいダグラスのグループは、ネブラスカの準州昇格を急ぎました。 南部の議員たちはここにつけ込み、ニューメキシコとユタについての協定であった「1850年の妥協」を、ミシシッピー川以西の旧ルイジアナ買収地全体に広げることに成功したのです。即ち1854年5月に成立したカンザス・ネブラスカ法は、北緯36度30分以北にあるカンザスとネブラスカに関しても、自由州となるか奴隷州となるかの決定は、州を編成する際の住民の意思(投票による)で決めると、定めたのです。 これは。ミズーリ協定の線からすると、明らかに後退です。下の地図に示したように、この結果、理論的には奴隷州は、36度30分の線を越えてカナダ国境にまで広がる可能性を獲得したのです。 当然黒人の存在そのものを嫌う、北部、北西部、中西部の人たちにとって、これは我慢のならないことでした。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.07.21 17:10:48
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